日経ナショナル ジオグラフィック社

スウェーデンのゴットランド島で発見された10世紀の石碑。死後の世界の戦士か、あるいは北欧神話の主神オーディンが描かれている。スウェーデン歴史博物館所蔵(DEA/SCALA, FLORENCA)

843年、バイキングは大西洋岸のノワールムティエ島を占領し、ここを拠点にフランス本土への攻撃を開始した。845年にはセーヌ川を遡上して多くの都市を略奪し、最後にパリに侵攻した。カール大帝の孫にあたるシャルル2世は、のちにバイキングへの対応の定番となる方法をとった。金を払って立ち去ってもらったのだ。

スペイン南部の都市コルドバは、9世紀にイベリア半島の大部分を支配していた後ウマイヤ朝の首都だった。後ウマイヤ朝のいくつかの都市は844年と859年にバイキングの襲撃を受けている(SEAN PAVONE/DEPOSITPHOTOS)

幻のローマ侵攻

金を受け取ったにもかかわらず、バイキングの略奪は続いた。彼らは徐々にフランス北西部のコタンタン半島に足場を固めていった。バイキングのリーダーたちがさらに南下するようになったのは、彼らがフランスに愛着を持つようになったせいかもしれない。859年、彼らは地中海に目を向けた。

地中海侵攻を指揮したのは「剛勇のビョルン」と呼ばれるビョルン・イロンシッドだった。年代記には、剛勇のビョルンともう1人の族長ハスタインが力を合わせてイベリア半島の大西洋岸を南下していったことが記されている。

当時のイベリア半島は、その大部分をイスラム王朝の後ウマイヤ朝が支配していた。バイキングは現在のポルトガル沿岸の町を略奪した後、ジブラルタル海峡を通過した。バイキングが地中海に入ったのは、このときが最初だったと考えられている。

バイキングはその後北アフリカに立ち寄ってからスペインの東の海を北上してフランス南部に到達し、ニーム近郊のカマルグ地方にキャンプを構え、そこで越冬して戦利品を蓄えた。

10世紀にシカの角から彫られた「サン・イシドロの容器」は、スペインで発見された唯一のバイキングの遺物だ。レオンのサン・イシドロ王立参事会教会所蔵(J.A. GARCÍA CASTRO/EDUARDO MORALES)

翌860年、バイキングは今のイタリアに到達し、今日のラ・スペツィア近郊にあったルーニという都市を略奪した。ローマ人によって築かれたルーニは、中世には繁栄を極め、強固な防御システムを備えていた。フランス北部の歴史家デュドが11世紀初頭に著した年代記によれば、バイキングは壮麗なルーニの街をローマだと勘違いしたという。

デュドによると、ルーニの強大な要塞を前にしたバイキングは、内部に侵入するために策略を弄した。ハスタインの死を偽装した彼らは、城門に使者を送り、キリスト教に改宗した指導者ハスタインを城壁内の神聖な場所に埋葬してほしいと頼んだ。「バイキングらの偽りのどうこくが聞こえた。司教は街中の人々を呼び集めた。聖職者は礼服に身を包み......女たちも大勢やってきた。彼らはまもなく故郷を追われることになった」

イタリア北西部にあるローマ時代の都市ルーニの遺跡。年代記によると、860年にここをローマと間違えたバイキングの襲撃を受けたが、その繁栄は中世まで続いたという(ANGEL VILLALBA/GETTY IMAGES)
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伝説の中の真実