ローマ目指したバイキング 北欧の民は地中海にも進出

日経ナショナル ジオグラフィック社

ナショナルジオグラフィック日本版

アルバート・グッドウィンが19世紀に描いたこの絵は、バイキングがヨーロッパ人の想像力に与えた深い影響を反映している。バイキングは9世紀に西ヨーロッパ各地を襲撃し、859年には地中海に進出した(BRIDGEMAN/ACI)

9世紀、バイキングは地中海にも攻め入っていた。

13世紀のアイスランドの年代記作家スノッリ・ストゥルルソンがノルウェー王朝の歴史について執筆した『ヘイムスクリングラ』は、8世紀から11世紀にかけて各地へ勢力を広げたバイキングに関する重要な資料だ。バイキングは当時、英国からグリーンランド、果ては北米まで足を延ばした。彼らが成功したのは、よく知られた残虐さはもちろんだが、高い航海技術によるところも大きかった。

バイキングはヨーロッパの河川や大西洋岸を航行しただけではなかった。ストゥルルソンが「ジブラルタル海峡を通ってエルサレムの地まで続く、あの大きな海」と表現した地中海へも、進出していたのだ。

9世紀にバイキングと戦ったイングランドのエドマンド殉教王に関する12世紀の作品の細密画。イングランドを襲撃しようとするバイキングの一団が描かれている。ニューヨークのモーガン図書館・博物館所蔵(FINE ART/ALBUM)

バイキングの遠征については数多くの証拠が残されている。イングランドやアイルランド、ロシアに築いた植民地や、今日のイスタンブールやバグダッドに至る交易ルートについての証拠だ。しかし、彼らの地中海侵攻についてはあまり知られていない。

数少ない資料によると、恐ろしいリーダーが率いる船団が仕掛けた大胆不敵な襲撃は、イスラム王朝時代のスペインのほか、当時のフランスやイタリアをも恐怖に陥れたという。バイキングが南を目指した理由は、彼らにとって非常に魅力的な街を奪うことにあったのかもしれない。ローマだ。

ノルウェーで最も深く、長いフィヨルドであるソグネフィヨルドを通過するバイキング船のレプリカ。スカンディナビア半島のバイキングは水に囲まれた環境で生活していたため、造船や航海の技術に優れていた(ALAMY/ACI)

勢力範囲を広げるバイキング

700年代後半、今日のデンマーク、ノルウェー、スウェーデンの農村では人口が増えすぎたため、勢力範囲を広げてより多くの物資を手に入れたいという欲求が高まりつつあった。やがて、スカンディナビアの人々は細く長い船ロングシップを使って各地を襲撃したり、遠方との貿易ルートを確立したりするようになった。現在では「バイキング」と呼ばれる彼らは、自分たちのことをそのようには呼んでおらず、団結した集団だとも考えていなかったようだ。

バイキングの時代は、彼らがイングランド北東部のリンディスファーンという豊かなキリスト教コミュニティーを襲撃した793年に始まったとされることが多い。それから数十年で、彼らはアイルランドに交易拠点を確保した。その後、イングランドのアングロサクソン人の王国を襲撃して、イングランド北東部に植民地を築いた。その中心となったのがローマ時代のエボラクムという古い要塞で、バイキングはこれをヨルビックと呼んだ。今日のヨークである。

バイキングは東方へも進出して、ロシアに交易拠点を設けた(ロシアという国名はバイキングの部族「ルーシ」に由来する)。彼らはボルガ川やドニエプル川を利用してカスピ海に達し、そこから現イラクのバグダッドと交易を行った。

バイキングは南方にも目を向け、かつてフランク王国のカール大帝が統治していた土地を目指した。814年のカール大帝の死後、フランス、ベルギー、スペイン北部、ドイツ西部、オーストリアは、急速に分裂し、弱体化が進んでいた。バイキングはこれを好機ととらえ、特にフランスを標的に据えた。

919年、フランス北西部ブルターニュ地方のゲランドの海岸に上陸したバイキングの戦士たち。1100年ころのフランスの写本より(GRANGER)
次のページ
幻のローマ侵攻