その数100万頭 オグロヌーの大移動は今後も見られるか
セレンゲティの生態系で繰り広げられるオグロヌーの大移動は、東アフリカ全体の野生生物にとっても重要な意味をもつ。だが、危ういバランスのなかで成り立っているこの自然は今、高まる脅威に直面している。ナショナル ジオグラフィック12月号は、そのセレンゲティの今をリポートする。ここでは、ケニア人の保護活動家ポーラ・カフンブの声を紹介しよう。
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セレンゲティの生態系といえば、黄金色の平原が広がる、太古から変わらぬアフリカの風景を思い浮かべるだろう。
足並みをそろえて優雅に歩く背の高いキリン。波打つ草原をかき分けて進むゾウの群れ。優美な角をもつアンテロープを容赦なく襲うライオン。ジグザグの線を描きながら走り続けるオグロヌーやシマウマ。
そして、ここにはマサイの人々をはじめとする人間も暮らしていて、彼らのことは大抵、大昔からの生活に固執する独特な文化をもつ人々として描かれている。
だが実際のセレンゲティの生態系はもっと複雑だ。タンザニア北部からケニア南西部に及ぶ広大なエリアには、数千種の動植物が生息している。現地の言葉で「果てしない平原」が由来とされる「セレンゲティ」という名前も誤解を招く。ここには、サバンナや森林地帯、川沿いの林などを含む、さまざまな地形が広がっているのだ。
人類の誕生以来、この土地では人間と動物が共存してきた。ここを最後の安住の地としている動物もいる。だが、しだいに人間がその生息地を奪い、地球の温暖化を引き起こしてきたことで、多くが絶滅の淵に追いやられている。
セレンゲティは太古の自然が残る「タイムカプセル」であると同時に、未来の指標でもある。複雑にからみ合った生命のネットワークは、保護区や公園として人間が区切った範囲よりもはるかに広い大地の上に成り立っている。
東アフリカの人は大概そうだが、私は大人になるまでセレンゲティに行ったことがなかった。そこは観光地であり、私たちには関係のないところだと思っていた。私が育ったのは1970年代のナイロビだが、夕食まで外で遊ぶようにと母に言われ、よく兄と近くの森へ探検に行ったり、川や沼で遊んだりしていた。
そんなある日、イチジクの木の上に巨大なモルモットのような、かわいい動物がいるのを見つけた。すると、近所の人が車で近づいてきて窓を開け、それはハイラックスというゾウの遠い親戚だと教えてくれた。
その男性は、生きたまま持ってきたら何でも、その動物について教えてくれると言うので、私たちはヘビやトカゲ、鳥、カエル、ネズミなどを捕まえては彼を訪ねた。一度、新種を発見したと信じて、サバンナアフリカオニネズミを持っていったこともある。そんな私たちに多大な忍耐力をもって接してくれたその人は、ケニア国立博物館の館長を務めていた古人類学者のリチャード・リーキーだった。
母は私を秘書の専門学校に入れたが、私はそこから逃げ出し、リーキーに会いに行った。彼がインターンとして働ける場所を見つけてくれたおかげで、公園のレンジャーになるという夢に向かって歩み始めることができたのだ。
ようやくセレンゲティを訪れたのは、ケニア野生生物局に務めていた20代のときだ。一度、マサイマラ国立保護区にいた米国人の研究者に、チームにケニア人はいるかと尋ねたことがある。「ああ、ケニア人の運転手とコックがいるよ」という答えが返ってきた。
アフリカ人が現地で研究することなど、誰も考えていなかったのだ。それでも私は学び続けて生態学と進化生物学で博士号を取得した。そして数年前、自分が大切にしてきたものたちが、深刻な脅威にさらされていることに気づき、自然保護に注力することにした。
生態系全体が危機的状況に置かれている。そのことに関心をもってほしい。セレンゲティの生態系内を移動するオグロヌーもそうだ。
毎年、100万頭以上の群れがマラ川の土手に押し寄せる光景には力強い生命力を感じるが、長期的な傾向を見てみると、そうではないことがわかる。大型哺乳類の生息数が国内で激減しているのだ。
ツアーオペレーターの傍ら野生動物の番組で司会も務めているマサイのジャクソン・ルーセイヤによると、この10年間に姿を消したか、ほとんど見られなくなった動物は10種にのぼるという。
クーズー、サバンナダイカー、ブッシュバック、カワイノシシ、モリイノシシ、オリビ、コロブスモンキー、セーブルアンテロープ、ローンアンテロープ、そしてもちろんクロサイもそうだ。ほとんどが生態系の健全性を示す指標となる重要な動物たちだ。
1990年代、ナイロビの南にあるアティ゠カプティエ生態系で、オグロヌーの大移動が見られなくなった。当時、私たちは手遅れになるまで、何が起きているか気づいてもいなかった。
現在のセレンゲティでも同じことが、より大きな規模で進行しているようだ。でも、今回は何が起きているかわかっている。その脅威は気候変動によってさらに増幅されているのだ。リーキーは、全世界がすぐにこの問題に取り組まなければ、私たちが生きている間にも野生生物の大半が失われてしまうと危惧していた。
もし温暖化という過酷な変化に耐えうる環境があるとすれば、それはセレンゲティの生態系をおいてほかにないだろう。この土地には驚異的な回復力が備わっている。私はこの自然を守り、次の世代へ残すことが可能だと信じているが、その実現にはケニアとタンザニア両国の人々の強い意志が必要だ。
(文 ポーラ・カフンブ、写真 チャーリー・ハミルトン・ジェームズ、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2021年12月号の記事を再構成]
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