
1774年、キリスト教の一派であるシェーカー教徒が英国から米ニューヨークに到着した。当時、この宗教集団が守る英国の伝統や勤勉さ、キリスト教信仰の深さは特異的で、たちまち異形と見なされた。「厳格で狂信的な宗教集団であり、工業技術を拒否している、しかも到底無理な独身主義を貫いている」――そんなうわさや作り話が広がった。こうした状況では、1800年代の最盛期でも、19のコミュニティーに合計5000人ほどしか信者がいなかったのも不思議ではない。
だが、シェーカー教徒は、米国文化に多大な影響をもたらした。今日でも、マサチューセッツ州西部とニューヨーク州東部が接する森林地帯に、シェーカー教徒の旧居住地が2カ所保存されている。野心的な博物館のオープンも予定されており、シェーカー教徒の遺産を学び、誤った認識を解く新たな機会となる。こうした施設では、並ならぬ信仰生活を送るためにごく普通の人々が発揮した崇高な志に触れることができる。

「過激な宗教集団です」。マサチューセッツ州ピッツフィールドにあるハンコック・シェーカービレッジのディレクター、ジェニファー・トレーナー・トンプソン氏は言う。そして、続ける。「しかし、今もこれからも影響力を持ち続けるでしょう」
イノベーターだったシェーカー教団
シェーカー教団は、1747年、英国マンチェスター近くで、キリスト教プロテスタントの一派であるクエーカーから分裂して誕生した。シェーカーという名称は、礼拝中に高揚した信徒が震えたり、踊ったり、不可思議な言語で話したりすることに由来している。1774年、シェーカー教徒は迫害から逃れて米国に渡り、現在のニューヨーク州アルバニー付近の荒野に入植した。その後、教団は分散して、南はフロリダ州、北はメーン州、西はインディアナ州に至るまで、各地でコミュニティーを築いた。
シェーカー教徒の多くは農業に従事した。起業家精神に富んでおり、平形のほうき、丸のこ(円形刃のノコギリ)、車輪の回転を動力とする洗濯機などを考案した。最も有名なのは無駄のないシンプルなデザインの調度品や家具の数々で、今日でもシェーカー家具として人気が高く、シェーカーの代名詞でもある。さらに、シェーカー教徒は、安全な水質の確保、水力の活用、循環型農業の実践など、環境の持続可能性を意図した作業方法を取り入れていた。まだ「持続可能性」という用語が普及していなかった数百年前の話だ。


一方で、いでたちは、女性は首元から足首まで覆うドレス、男性は三つぞろいのスーツと、教団の進歩的な考えには似つかわしくない保守的な装いだった。コミュニティーは男性で運営する「ブラザー」と女性による「シスター」に分かれており、その中で「ファミリー」という単位で構成されていた。すべてのメンバーが平等な地位にあり、黒人の改宗者も白人と同様の扱いを受けた。家族で入団した場合も、独身主義の誓約に基づいて、女性と男性は、別れて生活しなければならなかった。
今も残る、かつての暮らしの気配
シェーカー教団は、ニューヨーク州ニューレバノンのタコニック山脈の谷に、マウントレバノンという居住地を設立した。ここは、シェーカー教団としては最初の正式なコミュニティーで、教団の中心地として1900年代初めまで繁栄した。