日経ナショナル ジオグラフィック社

ウェッデル海で潜水した自律型水中ロボットを回収するアガラスII号の乗組員。ロボットが撮影した映像を受け取ったクルーは、船尾に刻まれた「エンデュアランス」の文字と星印をはっきりと確認し、長く行方不明になっていたシャクルトンの船を発見したことを確認した(PHOTOGRAPH BY ESTHER HORVATH)

調査船は2月18日に捜索海域に到着し、捜索チームは音波と視覚の両方で探査を行うことができる2台の自律型水中ロボットを使って水深3000メートルの海底を調べはじめた。このロボットは四角く平べったい形をしていて、海洋石油開発に広く利用されているものだ。母船から160キロ離れた場所でも自律的に行動することができ、極端な圧力と温度に耐えることができるこのロボットが、エンデュアランス号の沈没現場を初めて画像にとらえた。

最初の画像が送られてきたとき、バウンド氏とシアーズ氏は氷の上を散歩していた。「船に戻ると、すぐにブリッジに行きました。海中作業員の1人がそこにいて、にこにこと笑っていました。彼がスクリーンショットを見せてくれたとき、自分の人生はこの瞬間のためにあったのだと思いました」とバウンド氏は言う。

捜索チームのリーダーであるジョン・シアーズ氏はこう語った。「ワースリーが記録した場所からは7.7キロしか離れておらず、彼の計算が驚くほど正確だったことがわかりました」

ウェッデル海の分厚い氷を砕きながら進むアガラスII号。ウェッデル海は、今でも地球上で最も辺鄙(へんぴ)で過酷な海だ(PHOTOGRAPH BY ESTHER HORVATH)

伝説の最終章

エンデュアランス号が沈没したとき、シャクルトンは「氷は、いちど手に入れたものは手放さない」と言ったという。しかし、彼らの物語は、船が沈没したところでは終わらなかった。シャクルトンは助けを求めるためにウェッデル海を再び横断し、この旅は最も有名な探検物語の1つとなった。

1916年4月4日、シャクルトンは乗組員の大部分をエレファント島に残し、5人の乗組員とともにエンデュアランス号の救命ボートに乗ってサウスジョージア島を目指した。それは、ハリケーンのような強風が吹き荒れる凍(い)てつく荒海を16日間かけて進む1300キロの航海だった。シャクルトンは、「風は波の頂点を引き裂きながら悲鳴をあげていた」と記している。「我々の小さなボートは波に翻弄され、叩(たた)き落とされ、突き上げられ、船板の合わせ目が開くほどねじり上げられた」

サウスジョージア島の南岸に到着した彼らは、ストロムネスの捕鯨基地を目指して、険しい山あいの道を36時間歩き続けた。最近の研究によると、シャクルトンはおそらく心臓に穴が開いていたが、この強行軍をやり遂げた。

男たちがよろよろと歩いてきたとき、捕鯨基地の管理者だったソラルフ・ソーレは目を疑った。「なにしろ、私たちのひげは長く伸び、髪はぐしゃぐしゃだった」とシャクルトンは書いている。「体も洗っていなかったし、1年近く着続けていた衣服はぼろぼろで汚れていた」

6年後、再び南極探検の準備をしていたシャクルトンは、サウスジョージア島で心臓発作を起こして死去し、1922年3月5日にそこで埋葬された。それからちょうど100年後、捜索チームがエンデュアランス号の最初の画像を撮影した。

バウンド氏は、帰途にサウスジョージア島に立ち寄り、シャクルトンの墓を訪れるつもりだと語った。「現場を離れるのは寂しいですが、大きな誇りと達成感をもって、『ボス』の墓参りをしてこようと思っています」

(文 SIMON WORRALL、写真 ESTHER HORVATH、訳 三枝小夜子、日経ナショナル ジオグラフィック社)

[ナショナル ジオグラフィック 日本版サイト 2022年3月11日付]