航海は最初のうちは順調だったが、1915年に南極の冬が近づくと、船は海氷の中に閉じ込められてしまった。シャクルトンは10月26日火曜日に、「午後7時、非常に強い圧力がかかり、船にねじれが生じた」と記している。「ブリッジから見ると、船が巨大な圧力で弓のように曲がっているのがわかる」


翌日、乗組員は道具や機器や食料を運び出し、流氷の上にキャンプを張った。シャクルトンは、「船は修繕の見込みがないほどつぶれてしまい、放棄せざるをえなかったが、我々は生きていて元気だし、任務のための備蓄と装備がある」と記録している。
それから数週間後、エンデュアランス号はとうとう沈没した。乗組員の1人は、「夜、テントで横になっていると、ボスが『お前たち、船が沈むぞ!』と叫ぶのが聞こえた」と記している。「我々はすぐに外に出て、見張り台やその他の見晴らしの良い場所に登った。2.5キロほど離れたところで、我々の哀れな船が、死の苦しみの中でもがいていた。船は船首から沈み、船尾は高く上がっていた。それからあっという間に水中に没し、氷が永遠に海面を閉ざした」




発見できなかった理由
エンデュアランス号は今も、極地の氷の下、水深3000メートルの海底に眠っている。2019年、フォークランド海洋遺産財団がこの船の最初の捜索を行ったが、船の位置を特定することはできなかった。この冬、彼らは再び捜索を行うために捜索チーム「エンデュアランス22」を組織し、資金を集めた。
問題は2つあった。ひとつは、船の捜索範囲を絞り込むことだ。エンデュアランス号は、最初に氷に閉じ込められた後、流氷とともに漂流を続けた。最終的に船が壊れて沈没したとき、船長のフランク・ワースリーは六分儀でその位置を測定し、日誌に記録していた。しかし、彼らが船を捨てた日の測定が十分でなかったため、流氷の向きや速度を推定するのが難しかった。
乗組員が使っていたクロノメーター(海上で経度の測定に用いる精密な時計)にも問題があった。研究者たちの計算により、エンデュアランス号の時計が、乗組員が思っていたよりも速く動いていたことが明らかになった。そうなると、船の位置はワースリーの最後の記録よりも西にずれることになる。捜索チームは計算結果にもとづいて捜索範囲を絞り込んだ。
捜索チームが直面したもうひとつの問題は海氷だった。これが最大の難関だったと言ってよい。「ロンドンのある専門家は、海氷を通り抜けられる確率は10%だと言っていました」と、シアーズ氏は苦笑する。幸い、彼らの調査船S.A.アガラスII号は、厚さ90センチの氷の中を5ノット(時速9キロ)の速度で進むことができた。
しかし、それでも2月にセ氏マイナス10度まで冷え込んだときには、一時的に氷に閉じ込められた。「マスコミは大騒ぎでしたが、実際は小さな棚氷の上で4時間ほど動けなくなっていただけで、潮の流れに運ばれて脱出できました」とシールズ氏は言う。