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「奇跡の生還」が残した沈没船の謎、ついに解決!

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ナショナルジオグラフィック日本版

1915年秋、アーネスト・シャクルトンが率いる南極探検隊の船「エンデュアランス号」が南極沖で沈没した。氷の上に取り残された28人の乗組員が、絶望的な困難を越えて生還するまでの顛末(てんまつ)は、歴史上最も劇的な物語の一つとして知られている。だが、船が眠る場所は、この物語が残したミステリーとして語り継がれることになった。

そして今、謎は解けた。エンデュアランス号を捜索していた研究チームが、南極大陸に接するウェッデル海の海底で沈没船を発見したのだ。

2022年3月5日、水深3000メートルの海底に潜った自律型水中ロボットが、エンデュアランス号の最初の画像を送信してきた。カメラが船の甲板の上を滑るように進むと、100年前のロープ、道具、舷窓、手すり、さらにはマストや舵(かじ)までもが、ほぼ当時のままの状態で映し出された。保存状態が良かったのは、現場の水温が低く、光が当たらず、水中の酸素が少なかったおかげだ。

「私は20代半ばから難破船を捜していますが、これほどのものを見つけたことはありませんでした。何もかも、ボルトの穴まで見えるのです」。1カ月以上にわたる捜索を終えて南アフリカ、ケープタウンへ帰る途上、69歳の海洋考古学者メンスン・バウンド氏は衛星電話を通じてこう語ってくれた。

65人の隊員からなる捜索チーム「エンデュアランス22」を率いるバウンド氏は、自律型水中ロボットから送られてきた最初の画像を見たときから、これがエンデュアランス号であることを確信していたという。

決定的な証拠は、すぐに見つかった。船尾をクローズアップすると、北極星の印の上に「Endurance」という真ちゅう製の文字が光っているのが見えたのだ。「目玉が飛び出るほど驚きました」とバウンド氏は言う。「ワームホールを通って過去へと転がり落ちるような瞬間でした。首筋にシャクルトンの息づかいを感じました」

シャクルトンが目指したもの

エンデュアランス号は、シャクルトンの「帝国南極横断探検隊」という壮大な計画の探検船だった。英国政府と民間の篤志家の支援を受け、当時の海軍大臣だったウィンストン・チャーチルにも支持されたこの計画は、船で南極大陸まで探検チームを運び、上陸した探検チームが南極点経由で大陸を陸路横断するというものだった。

極地の海のために特別に建造されたエンデュアランス号は、全長44メートル、3本マストの帆船で、その船体は厚さ75センチの頑丈なオーク材でできていた。船は第1次世界大戦が勃発した直後の1914年12月5日に南大西洋のサウスジョージア島から出航した。ヨーロッパから遠く離れた海でも、戦争は身近にあった。エンデュアランス号がウェッデル海に入ったとき、その北方では英国とドイツの海軍がフォークランド沖海戦を繰り広げていたのだ。

シャクルトンたちの敵は海だった。広さ280万平方キロのウェッデル海は、あちこちに氷山が漂い、強風が吹きすさぶ、世界で最も過酷な場所の1つである。シャクルトンはこの海を「世界最悪の海」と呼んだ。

しかし、このような冒険を引き受けられる人物がいるとしたら、それはアーネスト・シャクルトンだけである。彼は、ノルウェーの探検家ロアール・アムンセンが1911年に南極点に到達する前に、南極点を目指した経験があった。

南極大陸横断の挑戦に備えて、シャクルトンは乗組員を厳選した。彼は乗組員と一緒に食事をし、ジョークを言い、歌を歌い、ゲームを企画して友好的な関係を築いた。乗組員たちは親しみを込めて彼を「ボス」と呼んだ。

航海は最初のうちは順調だったが、1915年に南極の冬が近づくと、船は海氷の中に閉じ込められてしまった。シャクルトンは10月26日火曜日に、「午後7時、非常に強い圧力がかかり、船にねじれが生じた」と記している。「ブリッジから見ると、船が巨大な圧力で弓のように曲がっているのがわかる」

翌日、乗組員は道具や機器や食料を運び出し、流氷の上にキャンプを張った。シャクルトンは、「船は修繕の見込みがないほどつぶれてしまい、放棄せざるをえなかったが、我々は生きていて元気だし、任務のための備蓄と装備がある」と記録している。

それから数週間後、エンデュアランス号はとうとう沈没した。乗組員の1人は、「夜、テントで横になっていると、ボスが『お前たち、船が沈むぞ!』と叫ぶのが聞こえた」と記している。「我々はすぐに外に出て、見張り台やその他の見晴らしの良い場所に登った。2.5キロほど離れたところで、我々の哀れな船が、死の苦しみの中でもがいていた。船は船首から沈み、船尾は高く上がっていた。それからあっという間に水中に没し、氷が永遠に海面を閉ざした」

発見できなかった理由

エンデュアランス号は今も、極地の氷の下、水深3000メートルの海底に眠っている。2019年、フォークランド海洋遺産財団がこの船の最初の捜索を行ったが、船の位置を特定することはできなかった。この冬、彼らは再び捜索を行うために捜索チーム「エンデュアランス22」を組織し、資金を集めた。

問題は2つあった。ひとつは、船の捜索範囲を絞り込むことだ。エンデュアランス号は、最初に氷に閉じ込められた後、流氷とともに漂流を続けた。最終的に船が壊れて沈没したとき、船長のフランク・ワースリーは六分儀でその位置を測定し、日誌に記録していた。しかし、彼らが船を捨てた日の測定が十分でなかったため、流氷の向きや速度を推定するのが難しかった。

乗組員が使っていたクロノメーター(海上で経度の測定に用いる精密な時計)にも問題があった。研究者たちの計算により、エンデュアランス号の時計が、乗組員が思っていたよりも速く動いていたことが明らかになった。そうなると、船の位置はワースリーの最後の記録よりも西にずれることになる。捜索チームは計算結果にもとづいて捜索範囲を絞り込んだ。

捜索チームが直面したもうひとつの問題は海氷だった。これが最大の難関だったと言ってよい。「ロンドンのある専門家は、海氷を通り抜けられる確率は10%だと言っていました」と、シアーズ氏は苦笑する。幸い、彼らの調査船S.A.アガラスII号は、厚さ90センチの氷の中を5ノット(時速9キロ)の速度で進むことができた。

しかし、それでも2月にセ氏マイナス10度まで冷え込んだときには、一時的に氷に閉じ込められた。「マスコミは大騒ぎでしたが、実際は小さな棚氷の上で4時間ほど動けなくなっていただけで、潮の流れに運ばれて脱出できました」とシールズ氏は言う。

調査船は2月18日に捜索海域に到着し、捜索チームは音波と視覚の両方で探査を行うことができる2台の自律型水中ロボットを使って水深3000メートルの海底を調べはじめた。このロボットは四角く平べったい形をしていて、海洋石油開発に広く利用されているものだ。母船から160キロ離れた場所でも自律的に行動することができ、極端な圧力と温度に耐えることができるこのロボットが、エンデュアランス号の沈没現場を初めて画像にとらえた。

最初の画像が送られてきたとき、バウンド氏とシアーズ氏は氷の上を散歩していた。「船に戻ると、すぐにブリッジに行きました。海中作業員の1人がそこにいて、にこにこと笑っていました。彼がスクリーンショットを見せてくれたとき、自分の人生はこの瞬間のためにあったのだと思いました」とバウンド氏は言う。

捜索チームのリーダーであるジョン・シアーズ氏はこう語った。「ワースリーが記録した場所からは7.7キロしか離れておらず、彼の計算が驚くほど正確だったことがわかりました」

伝説の最終章

エンデュアランス号が沈没したとき、シャクルトンは「氷は、いちど手に入れたものは手放さない」と言ったという。しかし、彼らの物語は、船が沈没したところでは終わらなかった。シャクルトンは助けを求めるためにウェッデル海を再び横断し、この旅は最も有名な探検物語の1つとなった。

1916年4月4日、シャクルトンは乗組員の大部分をエレファント島に残し、5人の乗組員とともにエンデュアランス号の救命ボートに乗ってサウスジョージア島を目指した。それは、ハリケーンのような強風が吹き荒れる凍(い)てつく荒海を16日間かけて進む1300キロの航海だった。シャクルトンは、「風は波の頂点を引き裂きながら悲鳴をあげていた」と記している。「我々の小さなボートは波に翻弄され、叩(たた)き落とされ、突き上げられ、船板の合わせ目が開くほどねじり上げられた」

サウスジョージア島の南岸に到着した彼らは、ストロムネスの捕鯨基地を目指して、険しい山あいの道を36時間歩き続けた。最近の研究によると、シャクルトンはおそらく心臓に穴が開いていたが、この強行軍をやり遂げた。

男たちがよろよろと歩いてきたとき、捕鯨基地の管理者だったソラルフ・ソーレは目を疑った。「なにしろ、私たちのひげは長く伸び、髪はぐしゃぐしゃだった」とシャクルトンは書いている。「体も洗っていなかったし、1年近く着続けていた衣服はぼろぼろで汚れていた」

6年後、再び南極探検の準備をしていたシャクルトンは、サウスジョージア島で心臓発作を起こして死去し、1922年3月5日にそこで埋葬された。それからちょうど100年後、捜索チームがエンデュアランス号の最初の画像を撮影した。

バウンド氏は、帰途にサウスジョージア島に立ち寄り、シャクルトンの墓を訪れるつもりだと語った。「現場を離れるのは寂しいですが、大きな誇りと達成感をもって、『ボス』の墓参りをしてこようと思っています」

(文 SIMON WORRALL、写真 ESTHER HORVATH、訳 三枝小夜子、日経ナショナル ジオグラフィック社)

[ナショナル ジオグラフィック 日本版サイト 2022年3月11日付]

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