
これらのキャラクターが悪役、英雄として戦い、どちらかが血まみれになるという筋書きだ。「そこに医者がやって来て、死んだキャラクターを生き返らせます」とオダウド氏は説明する。「生命と再生というこのテーマが毎年繰り返されます」
昔のママーは顔を隠し、ぼろぼろの衣装をまとい、手には棒を握り、恐ろしい外見だったと語るのは、アイルランド国立大学ダブリン校でナショナル・フォークロア・コレクションの責任者を務めるクリストファー・マッカーシー氏だ。彼らは前触れなく家に入り、パフォーマンスを始めた。温かく迎える住人もいれば、子供が怖がるという理由で追い出す人もいた。いずれのケースでも、ママーたちは訪問するだけで報酬を得ることができた。

ヘンリー・グラシー氏は1977年の著書『All Silver and No Brass: An Irish Christmas Mumming(銀のみ可、真ちゅうは不可:アイルランドのクリスマスの伝統マミング)』の中で、ママーのショーは愉快だが、威圧感が漂っていたと述べている。終盤に2人の悪魔が登場する典型的な芝居がある。十分な報酬が得られなかった場合、家畜を盗み、「おまえを墓場に連れて行く」と家主を脅していた。
「韻や体の動きでユーモラスに表現していますが、メッセージは明確です」とグラシー氏は話す。「棒を持った若い男たちが台所に立ち、お金がほしいと言っているのです」
グループの1人が韻を踏んだ詩で支払いを要求した。「フィドリー・ファニー(厄介な芸人)がやって来た。集金にやって来た。銀のみ可、真ちゅうは不可。悪いお金はいりません」という古典的な一節がある。マッカーシー氏によれば、昔のママーは集めた資金で酒を買い、お祭り騒ぎに興じていたという。一方、現代のママーは通常、寄付金があれば、慈善事業や地域プログラムに全額を投じる。
ただし、昔のマミングは良い影響も与えていたとマッカーシー氏は述べている。この伝統はカトリックとプロテスタントに分かれていたアイルランドのコミュニティーを結び付ける役割を果たしていた。2つの教派が入り交じる一座もあった。ところが1900年代、教派間の分裂が拡大し、マミングは衰退した。
1950~1980年代、アイルランドが社会不安に陥ると、北アイルランドとアイルランド共和国の境界付近でパフォーマンスを行うだけでも、しばしば許可を得なければならなくなった。暴力事件が多発していた背景を考えると、変装して近所を歩き回る男たちに人々が不安を覚えたのも当然だ。