「壊れていない!」 ノートルダム大聖堂再建の裏側
2019年4月、炎に包まれたフランス・パリのノートルダム大聖堂。その衝撃的な映像はテレビやインターネットを通じて世界中へ伝えられた。その直後、フランス政府は24年までに再建すると約束。ナショナル ジオグラフィックは今回、作業の進む現場への立ち入りを特別に許された。2月号では、その様子をリポートする。
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パリの発掘調査を監督する遺物保存の専門家、ドロテ・シャウイ゠デリューはツイッターで火災発生を知った。その後の2年間、空っぽになった大聖堂で、ほぼ毎日のようにがれきを選別して過ごすことになるとは思いも寄らなかった。ノートルダムそのものが発掘現場になるとは。
「私はテレビを呆然(ぼうぜん)と見ているだけでした。パリに住んでいるのだから、現場に行けばいいのに」と話すのは、森林管理の専門家、フィリップ・グルマンだ。テレビの解説者は、今のフランスにはオーク材もなければ知恵もないから、ノートルダムの屋根を支える木材の骨組みは二度と造れないと語り、フランス各地の森林を管理しているグルマンは、怒りを募らせながらそれを聞いていた。そして午後11時までには、電話で仲間と話し合い、寄付の形で必要な木材を集める手立てを考えていた。
ちょうどその頃、2013年からノートルダム大聖堂の修復工事を指揮してきたフィリップ・ビルヌーブは大聖堂の正面の広場に到着した。尖塔(せんとう)が倒壊したとき、彼は列車に乗っていて、電波が届かない状態だった。翌日、被害状況を調べるために西正面の北側の塔に登り、尖塔の頂にあった雄鶏の銅像を見つけた。横の屋根の上に落ちたのだ。
「広場に着いたときは、死んだも同然でした。今でも昏睡(こんすい)状態ですよ」とビルヌーブは話す。「大聖堂の立て直しは、自分を立て直す作業でもあります。完了すれば、私も救われます」。本格的な修復工事の開始を目前に控えた21年9月、ビルヌーブは自分の左腕に尖塔を描いたタトゥーを入れた。
修復現場へ
1998年の夏、私(著者のロバート・クンジグ)は美術史家のスティーブン・マリーの案内でノートルダムの屋根裏に登った。明るい日中にもかかわらず、そこは薄暗かった。教会の床から見上げたときには、こんな舞台裏があるとは想像もつかなかった。まさに職人たちの世界だ。入り口から主祭壇まで続く身廊と翼廊が直角に交わる中央交差部で足を止めて、尖塔を支える手の込んだ木の骨組みを見上げた。
21年夏、再び同じ場所を訪れた。ただし、このときは修復工事用の足場に立って、巨大な穴を見下ろすことになった。尖塔が石造りのボールト(曲面天井)を突き破って崩落した際に開いた穴だ。尖塔の頂が突き刺さって身廊にも穴が開き、北側の翼廊の端にも穴が開いていた。オーク材を三角形に組んだ高さ約10メートルの屋根の骨組みは、炎が燃え広がると崩れ、ボールトを突き破って下に落ちた。中央交差部の床には、焦げた木材と石が高さ1メートルほども積み重なっていた。
これらのがれきはただ撤去するわけにはいかないと、火災後数日足らずでシャウイ゠デリューらは判断した。がれきも法律で保護された文化遺産であり、専門家の手で選別する必要がある。この作業のため、歴史的建造物研究所は34人いるスタッフの大半を現場に派遣したと、ティエリー・ジマー副所長は明かした。
損傷したボールトが崩れ落ちる危険があったため、がれきの回収には遠隔操作のロボットが使われた。鉛の粒子を吸わないよう防じんマスクを装着した専門家チームが側廊に待機し、ロボットが運んできたがれきを調べ、修復に役立ちそうな遺物や、歴史的価値がある遺物を抜き出した。
「これらすべては、これまで私たちが触れたことのないものです」とジマーは言う。「単純には喜べませんが、今はそれが手元にあります」。火災のおかげで大聖堂の工法がこれまでより詳しくわかり、建設された時代についても理解が深まる。それがせめてもの救いだろう。
がれきをすべて回収して倉庫に運ぶだけで、2年かかった。遺物の数々は今では2500平方メートルほどの保管場所に設置された高さ6メートルの棚に収納されている。
がれきが片づいても、壁とボールトが崩落する危険は残っていた。調査の結果、屋根の鉛板と木材の骨組みの重量が壁を固定し、つなぎ留めていたことが判明した。それなしには、強風が吹けば壁は倒れかねない。そこで19年から21年夏にかけて、壁を支える力を強化するため、飛び控え壁とボールトの一部に、重さ数トンの特注の補強材を入れる作業が行われた。一方、火災前に行われていた尖塔の修復工事用の足場が、火災後も不安定な状態で聖堂内に残され、鋼材が落下する危険があった。この元の足場を撤去する作業は、ロープを使った高所作業の専門家が担当した。
20年春には新型コロナウイルス感染症の流行によるロックダウン(都市封鎖)で、工事は2カ月間の中断を余儀なくされた。それより前の19年にも、人体に有害な鉛の粒子の飛散が問題となり、当初の安全対策では不十分であると判断され、改善のために工期が6週間つぶれた。今では、作業員のロッカールームとして使われているプレハブにシャワーが設けられ、そこが汚染区域と安全区域を分ける境界線になった。作業員は日に何度もこの境界線をまたぐが、そのたびに全裸になって防護服に着替え、作業に向かう。現場を離れるときは必ずシャワーを浴びて、髪を洗う。昼食をとるためであっても同じことをしなければならない。
大統領が指名した人物
ノートルダム修復のために創設された公共機関のトップに就任したのは、ジャン゠ルイ・ジョルジュランという人物だ。大統領の主任軍事顧問や統合参謀総長を務めた名だたる退役軍人で、マクロン大統領は二つの理由で自分に修復事業を一任したと、本人は語る。一つは敬虔(けいけん)なカトリック教徒であること。もう一つは政治的な調整能力にたけ、権威もあることだ。24年までに大聖堂を再開するには官僚機構の障壁をうまく切り抜ける知恵も必要になる。ジョルジュランは8億4000万ユーロ(約1100億円)の寄付金を原資に目標達成を目指す。
修復事業は本来なら文化省の管轄だ。同省の関係者の間では、元将軍が関与するのは筋違いだし、24年までに完了するのはどだい無理な話だとの声も聞かれる。それについて水を向けると、ジョルジュランは豪快に笑い飛ばした。
「失礼ながらムッシュー、どうやらあなたは、共和国の大統領がノートルダムの修復に首を突っ込むのはけしからんとほざいている連中に洗脳されたようですね。何事にも延々と時間をかけたがる連中にね」
損傷はひどいが限定的だと、ジョルジュランは言った。確かに、私も現場を見に行って、かなりの部分が無傷なように見えることに驚いた。保全担当のディディエも驚き、「何一つ壊れていなかったのです!」と声を上げた。彼女が言うのは、文化財や貴重な美術品が無事だったことだ。中央交差部にある現代の祭壇はつぶれたが、その1メートル先にある、14世紀の石造りの聖母子像は、灰をかぶったものの無傷だった。歴史的建造物研究所のステンドグラスの専門家、クロディーヌ・ロワゼルによると、3つの小さなパネルのガラスが数枚割れただけで、ほかは無事だったという。
(文 ロバート・クンジグ、写真 トマス・バン・フトリーブ、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2022年2月号の記事を再構成]
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