ミュージカルの表現だから心の声が伝わる
映画の話に変わりますが、ミュージカルものがまた増えてきています。ここ数年、ミュージカル映画が増えて、それがヒットすることで演劇の劇場にもお客さまが来てくださるという流れがあったのですが、コロナ禍でもミュージカル映画の制作は続いていて、いろんなタイプの作品が生まれています。最近見た『シラノ』と『ライフ・ウィズ・ミュージック』の2本が面白かったので、紹介しておきましょう。

『シラノ』は1897年の初演以来、日本をはじめ世界各地で上演され、何度も映画化やミュージカル化されている有名な作品です。ところが僕はちゃんと見たことがなくて、今回初めて見ました。主演のピーター・ディンクレイジは、僕が好きな海外ドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』で重要な役をやっている俳優で、彼がどんなふうにシラノを演じているのか興味があったし、もともとは彼が主演した舞台ミュージカルの映画化というところにもひかれました。
舞台は17世紀フランス。騎士で詩人であるシラノはロクサーヌに思いを寄せますが、自身の容姿に自信が持てないために告白できません。一方、ロクサーヌはシラノと同じ隊の騎士クリスチャンに片思いをしていて、シラノに恋の仲介を頼みます。シラノは複雑な気持ちを抱えながら、文才がないクリスチャンに変わってロクサーヌへの手紙を書く……という三角関係のラブストーリーです。
初めて見て、2人の男が1人の人物のようになって恋愛するという設定が面白くて、やはり名作だと感じました。シラノといえば鼻が大きいイメージですが、今回はそうじゃないコンプレックスを描いています。そこを含めて古典をそのまま映画化するのではなく、現代的なアレンジを加えています。音楽はロックバンドのザ・ナショナルのメンバーが手がけているのでポップスだし、踊りや衣装も現代風。イタリアでロケ撮影したという映像はすごくきれいです。過度に現代化しているということではなく、いろんなものがミックスされたバランスのいい映画化なので、一番伝わりやすい形なのだろうと思いました。
ミュージカルにした意味もよくわかりました。歌やダンスでやりとりを描くというよりは、心の内を歌で教えてくれるという作りでしたから。シラノの葛藤だったり、ロクサーヌの喜びの爆発だったりが歌で語られます。「ミュージカルにするには心の声を聞きたい人物の話かどうかが重要だ」と、『ナイツ・テイル-騎士物語-』の演出家ジョン・ケアードがよく言っています。会話だけからでは、なかなか心の内はうかがいしれないのですが、ミュージカルにすることで登場人物の本音が歌の形で伝わってきました。

『ライフ・ウィズ・ミュージック』も心の声を音楽で表現しているという点で、ミュージカルならではの世界が展開します。シンガーソングライターのSia(シーア)が初監督を務めた作品で、現実のドラマシーンと登場人物の心情を表現したミュージックシーンが交錯する構成が斬新でした。
主人公はアルコール依存症のリハビリテーションプログラムを受けて、孤独に生きている若い女性のズー。祖母の急死によって、長く会っていなかった自閉症の妹・ミュージックと暮らすことになります。最初は途方にくれるズーですが、アパートの隣人らの助けを得て、次第に自分の居場所を見つけ、自身も少しずつ変わろうとしていく……というストーリーです。
妹のミュージックの頭の中ではいつも音楽が鳴り響いていて、彼女の心の世界に入ったとき、トリップしたようにミュージックシーンになります。その表現に驚いたし、現実とミュージックシーンの差が鮮明であればあるほど、現実で置かれている状況がリアルに迫ってくるという作りも面白いものでした。ミュージックシーンの衣装や踊り、色彩は現実とかなりかけ離れていて、ジーン・ケリーやフレッド・アステアが出ていた昔のミュージカル映画で、音楽がかかるとジャンプして別世界に行くみたいな表現を思い出しました。Siaという才能と出会えたのもうれしい発見でした。
スティーヴン・スピルバーグ監督が監督した『ウエスト・サイド・ストーリー』のような正統派のミュージカル映画も公開中ですし、『RENT』の作詞・作曲・脚本を手がけたジョナサン・ラーソンの自伝的なストーリーである、Netflix(ネットフリックス)の『tick, tick... BOOM!:チック、チック…ブーン!』もアカデミー賞主演男優賞にノミネートされるなど話題になっています。いろんなタイプのミュージカル映画が出てきて、いろんなところで楽しめるようになっています。映像の世界でもミュージカルが盛り上がっていて、心が躍ります。

(日経BP/2970円・税込み)

「井上芳雄 エンタメ通信」は毎月第1、第3土曜に掲載。3月5日(土)は休載。第111回は3月19日(土)の予定です。