日経ナショナル ジオグラフィック社

再統一されたドイツの首都ベルリンは、世界有数のクラブカルチャーの拠点だ(PHOTOGRAPHS BY RUBEN SALGADO ESCUDERO)

クラブの休業

ベルリンで最も過激なクラブといわれる「キットカット」は、法による規制が発効するよりも早い、20年3月9日、他のクラブに先駆けて休業を発表した。

キットカットに続いて、ベルリンのインダストリアル・テクノの拠点「ベルグハイン」も、建物の正面に「Morgen ist die frage(明日が問題だ)」という巨大なバナーを掲げて休業した。そして、20年3月13日、ベルリン市は、すべてのクラブに休業命令を出した。

ベルリン育ちのスタイリスト兼アートディレクター、ソフィー・アイレンベルガーさん。「人間は生まれた時からリズムに合わせてダンスをしてきたのです。楽器がドラムかドラムマシンかということは問題ではありません」(PHOTOGRAPHS BY RUBEN SALGADO ESCUDERO)

ベルリン市民にとって、パンデミック初期のクラブ休業はあまり問題とならなかった。「何の疑問もありませんでした。クラブ通いがコロナの感染拡大に拍車をかけていたことは明らかですし、コロナ禍においてクラブが最悪の場所だというのは当然のことです」。ベルリン・クラブコミッションの広報担当者で理事でもあるルッツ・ライヒセンリングさんはこう話した。ライヒセンリングさんやクラブコミッションの他のメンバーにとっての問題は、ロックダウン期間中に何をするかという点だった。

その後2カ月間にわたって、ドイツ全土でロックダウン(都市封鎖)が実施された。同居家族以外の人と室内で過ごす人数が制限され、違反者には多額の罰金が科せられる場合もあった。

ベルリンのクラブ「リッター・ブツケ」でキスを交わすカップルと、通り過ぎるマスク姿の客(PHOTOGRAPHS BY RUBEN SALGADO ESCUDERO)

20年5月、ベルリンの一部のバーやレストランで、衛生対策を徹底した屋外の席に限って営業再開が許可された。屋外での集まりなら構わないという総合的な見解から、一部のクラブでは、屋外スペースに限定した営業を再開した。屋外スペースを持たないクラブも、急きょ屋外スペースの設置を始めた。だが、最も注目すべきなのは、多くのクラブが、新型コロナの検査場やワクチン接種会場としてクラブの建物を提供し、元従業員に新たな仕事に携わる機会を与え、新型コロナとの闘いに貢献した点だ。

アリーナ・ベルリンのスタッフ・マネージャー、バスティ・シュワルツさんは、この職に就くまでの30年間、DJデュオ「ティーフシュワルツ」として、兄弟で世界各地をツアーで巡っていた。コンサート会場だったワクチン接種センターでの勤務は、現状を受け入れつつ社会生活を送る絶好のチャンスをもたらしてくれたという。バスティさんの推定では、このアリーナを会場とする接種センターで働く人の85パーセントは、アーティストから予約スタッフ、バウンサー(クラブのドアマン)など、夜間の仕事をしていた人々だ。こうした人々にとって、このアリーナは、社会の一員として昼間に仕事をするという得難い経験の場となっている。

戦間期のワイマール時代も、ベルリンのクラブは過激だった。1934年、ジャズ喫茶「シング・シング」でアメリカ風の囚人の格好でどんちゃん騒ぎをする人々 (PHOTOGRAPH BY NEW YORK TIMES CO., GETTY IMAGES)
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クラブに代わるものはない