日経ナショナル ジオグラフィック社

モンテプラマでは、巨像だけでなく、ヌラーゲ建造物の中核である塔の小型模型も発掘された(PAUL WILLIAMS/ALAMY/ACI)

手間のかかる壮大な作業

1970年代の発掘作業の結果、モンテプラマにヌラーゲ人のネクロポリス(集団埋葬地)があったことが明らかになった。最古の墓は、紀元前11世紀に作られている。石像の破片が数多く見つかっただけでなく、石でできたヌラーゲ建造物の小型模型も発見されたことから、ネクロポリスがヌラーゲ時代の遺跡であることがはっきりした。

モンテプラマにおけるその後の発掘作業の成果も考慮すると、これらの巨像は紀元前10~8世紀の間に製作されたようだ。これは鉄器時代後期、ヌラーゲ文化が最も栄えた時期の終わり頃にあたる。

モンテプラマの考古学調査は、ネクロポリスとその墓から発掘された無数の破片の収集・分析に重点が置かれた。1970年代半ば以降に収集された破片は、実に数千点にのぼった。

2007年には、石像の復元という手間のかかる作業が始まった。2011年までに24体の石像の復元にこぎつけたが、その多くは不完全な像だった。これら鉄器時代の傑作は、現在、サルデーニャ島の州都カリアリにある国立考古学博物館や、モンテプラマ遺跡に近いカブラスのジョバンニ・マロンジュ市立博物館に収蔵されている。

残る大きな謎

では、ヌラーゲ人はなぜ石像を作ったのか。そして、石像はどのように並んでいたのか。この謎は現在も専門家を悩ませている。石像はヌラーゲ時代にネクロポリスに埋葬された上層部の軍人や聖職者を表しているという説もあるが、確証は得られないままだ。

巨大なヌラーゲ建造物を建設した過去の英雄をたたえるために作られたという説もある。この仮説に沿って考えると、石像は「ヘロン」(英雄をたたえる神殿や記念碑を指すギリシャ語)として製作されたことになる。そうであれば、ネクロポリスの近くに建立された過去の英雄たちの像は、伝統的価値観や共有遺産の継承を人々に認識させ、島のコミュニティーを団結させる存在だったことだろう。

サルデーニャ島に暮らす人々は、こうした古代の石像に強い親近感を抱いている。モンテプラマの巨人の顔は広く知られ、多くの住民にとって島の歴史を象徴する重要な存在となっている。

1975年以来、モンテプラマ遺跡からは5000点以上の破片が収集された。その復元作業は、サルデーニャ島北部にあるリ・プンティの復元センターで行われた。写真は、モンテプラマから出土した石像の破片を調査する考古学者のアルバ・スカーヌ氏(MARCO ANSALONI)

(文 FRANCESCA MULAS、訳 稲永浩子、日経ナショナル ジオグラフィック社)

[ナショナル ジオグラフィック 日本版サイト 2022年3月7日付]