79歳の学者、未知のカエル探しで命懸けの調査
79歳の生物学者はもう一度、南米の秘境で新種のカエルを見つけたいと願った。しかし、そこは密林を何日も歩き続けた先にある、切り立った岩山の上だ。頑強なクライマーたちのサポートを受けた命懸けの調査は、想像以上に過酷なものだった。
◇ ◇ ◇
南米ガイアナ北西部に連なるパカライマ山脈で、保全生物学者のブルース・ミーンズが一人たたずみ、ヘッドランプの明かりを頼りに雲霧林を見渡していた。曇った眼鏡の向こうには、緑のコケに覆われた太古の木々がどこまでも立ち並んでいる。朽ちゆく草木の匂いをたっぷり含んだ湿った空気を震わせるのは、カエルたちの歌声だ。その森の交響曲は耳に心地よく、一歩足を踏み入れたら最後、二度と戻れないような、うっそうとした密林の奥へと彼を誘う。
片手で若木をつかんでバランスを取り、ブルースは一歩踏み出した。だが、落ち葉がたまったぬかるみに足をとられ、先へ進めない。79歳の彼は自身の老体をのろった。最初はゆっくり進むつもりだが、森の自然に体がなじむにつれ、足取りは日増しに力強くなると、出発時に話していたのだが。
ブルースはこの地域でこれまでに32回も調査を行ってきた。若き日の写真を見せてもらったが、そこには長身で肩幅の広い、たくましい男性が写っていた。いかにも奥地での探検に慣れているように見える。
雄大な自然を感じる小さな体験
「1980年代には、おんぼろバスに揺られて、ベネズエラ東部の広大な平原、グラン・サバナを横切り、両生類と爬虫(はちゅう)類の新種を探しにパカライマ山脈に分け入ったものだ」とブルースは話してくれた。
野生の生き物たちの世界にできるだけ近づこうと、名も知れない山の頂上でたった一人、何日も過ごしたこともあるという。奥地での調査は、米カリフォルリア州南部で育った彼が子どもの頃に夢中になった探検の延長のようなものだった。丘を歩き回り、トカゲやタランチュラを探した。本人の言葉を借りれば「雄大な自然を感じる小さな体験」を求めていたという。
そのときと同じ気持ちに導かれ、今回もこの奥地にやって来た。今では体重129キロで、密林を歩くにはいささか太り過ぎだが、「尽きせぬ探究心は変わらない」と彼は言う。「大丈夫、すぐに自分のリズムをつかめるよ」と。
そうはいっても、群れ飛ぶ虫につきまとわれ、降り続ける雨にぬれそぼち、うっかりすると沼地に足をとられて、ずるずる体が沈みかねない密林を歩き続ければ、どんなに頑健でも体力を消耗する。
出発から1週間、枝葉を切り払いながら森を進み、行く手に次々に現れる川を渡るうちに、ブルースが日に日に弱っていくことに、調査隊の誰もが気づいていた。ギアナ高地の未開の森は、体力が落ちた70代の老人がおいそれと入り込める場所ではないのだ。
もっとも、ブルースとともに過去3回、この地域に調査に入った私の経験から言えば、彼は旅の途中でみるみる元気になることがある。
ここはアマゾンの多雨林の北端にある「パイクワ川流域」と呼ばれる地域で、生物多様性に富むが、絶滅が危惧される種が多い、いわゆる「ホットスポット」だ。ブルースの主な研究対象はカエル。そして地球上にカエルの楽園があるとすれば、ここはまさにその名にふさわしい。
カエルは世界中のどんな生態系でも重要な役割を担っているが、この地域のような赤道直下の多雨林ほどカエルが古くから生息してきた場所はほかにはない。この地域のカエルたちは、気の遠くなるような長い時間をかけて、独自の進化を遂げてきた。おかげで、それぞれの生息環境に驚くほど巧みに適応し、形も大きさも体色も実に多様な種が生まれた。
カエルの研究が新薬の開発につながる
アマゾン盆地だけでも1000種を超える両生類が見つかっている。この地域のカエルの研究が、新しいタイプの抗生物質や鎮痛剤など、画期的な新薬の開発に役立った事例は多くあり、がんやアルツハイマー病の治療薬の開発につながることも期待されている。
現在知られているカエルの種は、世界中にいる多様な種のごく一部にすぎないと考えられている。その一方で、既知の種はどんどん姿を消している。1970年代以降、最大で200種のカエルが絶滅したとの推定もあり、多くの種が発見されないうちに絶滅するのではないかと、ブルースら生物学者たちは懸念している。
ブルースは取りあえず、この地域の多雨林に今も残されている生物の宝庫を探ることに注力していた。「パイクワでは、これからも数限りなく新発見があるだろう」。ブルースは熱っぽい口調でそう語るが、彼は気づいているはずだ。カエルたちだけでなく、自分にとっても、残された時間は限られている、と。
(文 マーク・シノット[登山家]、写真 レナン・オズターク、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2022年4月号の記事を再構成]
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