アイススケートが人々の娯楽に
フィギュアスケート、スピードスケート、アイスホッケーはいずれも、文明初期の人類が、氷上を滑るために足に動物の骨をひもで結びつけていたことに端を発している。フラワー氏の著書によれば、紀元前3000年ごろの骨製のブレード(刃)がスイスで発見されている。また、中世のスカンディナビア半島でもスケートが使用されていたという証拠がある。
近代スケートは、オランダが発祥の地とされている。17世紀初頭には凍った運河で貴族がスケートを楽しんでおり、国中で娯楽として定着していた。オランダを訪れたヨーロッパの上層階級の人々がスケートを知り、17世紀後半には、英国の王族がスケートを持ち帰って自国に広めた。


18世紀末には、米国のバレエダンサー、ジャクソン・ヘインズが、スケートにバレエの要素を取り入れて、フィギュアスケートを考案した。
スケートの進化に伴って、スピードスケートやアイスホッケーなども誕生した。スピードスケートは、オランダの人々がスケートで競走を始めた頃から存在したが、アイスホッケーは、氷上で行うホッケーとして19世紀のカナダで考案された。どちらも20世紀に確立され、第1回冬季オリンピックの種目にも採用された。


最古のカーリングの記録
カーリングの最古の記録は、1540年にスコットランドの公証人が書いた書面に残されている。これは、ある男子修道院で行われた氷上に石を投げる競技に関する記録で、当時のスコットランドでは同様のゲームが広く親しまれていた。
スコットランドは、この国で16世紀に生まれた「アインゲーム」がカーリングの起源だと主張している。アインゲームは、川底から拾った滑らかで大きな石を、凍った湖や池で投げる遊びだった。
その数百年後、スコットランドで最初のカーリング・クラブが結成された。このクラブは、パースにある宮殿の舞踏の間でビクトリア女王にカーリングを披露し、1843年に女王から「王立」と名乗る認可を得た。
カーリングでは、ハウスと呼ばれる円に向けて2つのチームが交互にストーン(石)を滑らせ、中心に最も近いストーンを投げたチームが得点を得られる。このとき獲得する点数は、相手チームが投げた中心に最も近いストーンより内側に何個あるかで決まる。カーリングは20世紀までに広く普及し、1924年の第1回冬季オリンピックでは数少ない実施競技のひとつとなった。
(文 EMILY MARTIN、訳 稲永浩子、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 日本版サイト 2022年2月8日付]