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生の舞台では絶対にできない音声劇の世界

10月19日からは僕がひとり芝居で全15役に挑戦したひとりぼっちょ音声劇『クンセルポーム・クンセル塔の娘』の配信が始まります。1人の役者が何役もの登場人物を演じ分けて、歌い、語るという“聴く”ミュージカルです。僕のミュージカル俳優仲間である安倍康律君が企画して、作・演出・作詞・作曲を手がけました。安倍君は「ぼるぼっちょ」という劇団を主宰していて、僕のラジオ番組『井上芳雄 by MYSELF』発のコンサートでは構成をしてくれたり、やはりラジオ番組発で今年1月に配信したオリジナル配信ミュージカル『箱の中のオルゲル』の作・演出・作詞をしてくれたりしています。

その安倍君が昨年、コロナ禍で安心安全に楽しめるモノは……と考えて、ひとりぼっちょ音声劇に行き着いたそうです。僕も企画を聞き、コロナ禍で公演中止が相次いだりしてミュージカル俳優が舞台に立てないという状況の中でも、できることの選択肢を増やすという意味で、今の時期だからこそのアイデアだし、やる意義があると賛同しました。

こんなストーリーです。時は今よりはるか昔。クンセルポーム・クンセル島という島に、クンセルポーム・クンセル塔という天にまで届きそうなほど高い塔があって、その頂にエレーネという娘が1人住んでいます。はるか遠くに見える、美しいであろうこの娘に、王子や家来、学者とその助手、島民たちの誰もが会いたがりますが、塔の階段は途中で途切れており、頂にたどり着けません。誰がどうやって、エレーネに会えるのか……。

登場する15の役を僕が1人で演じました。僕は声色を使い分けたり、演じ分ける技術で見せるタイプの俳優ではないと思うのですが、だからこそ安倍君は、普段舞台ではやらないような役をやらせたかったようです。島民の男にも豪快な男、ひょろけた男、太っている男といろんなタイプがいて、少年や老女、娘の母親や魔法使いの役もありました。実際にやってみると、初めてだらけで、収録は思った以上に大変でした。ミュージカルの新曲が14曲。安倍君がまたすごくキーの高い曲とか激しい曲とかいろんなナンバーを書いてくれたので、歌えるようになるまで覚えないといけないし、しかも声色を変えて。1日では全然収録できなくて、夏の間に2日に分けて、それぞれ6時間くらいぶっ通しでやりました。

でも、1人でこれだけいろんな声でしゃべりまくり、歌いまくることは生の舞台ではできません。音声劇のスタイルだからできる世界がここにあります。特に歌で声色を変えるのは、初めての挑戦でした。声が重なった歌を聞いたときには、気持ちいいというか、全部が自分の声なのに、こんなにたくさんの人が歌っているのがなんとも面白いと思いました。そこは今回の聴きどころだと思います。演奏は杉田未央さんが生でピアノを弾いてくれていて、あわせて作曲・編曲もされています。

女性の声は正直難しかった。あまりやったことがないし、自分で聴いても、まだ勉強の余地がありそうです。男性の僕がイメージする女性の言い方になっているので、もう一つ何かフィルターを通さないといけないのかな。宝塚の男役の人が10年かかるというくらいなので、異性の雰囲気はすぐに出せるものじゃないと実感しました。

距離感の表現も音声劇ならでは。地上にいる王子と塔の頂にいるエレーネの会話は距離が天と地ほど離れているので、それだけ遠くの人に向かって、なんとかだーと言い続ける演技は大変でした。収録の仕方にしても、基本的には役を演じ分けながらまとめて録ったのですが、セリフが多いときは役ごとに分けて録ったりもして、初めてなのですべてがトライアル。自分が培ってきた経験と技術を総動員しないとできない仕事ではありました。

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違う声は全く出てこない不思議な安心感