消えたオキアミの謎
今回の発見は、もう1つの謎の解明にもつながるとサボカ氏は言う。それは、「南極沖にはなぜオキアミが少ないのか?」という問題だ。この小さな甲殻類はクジラやアザラシの重要な食料源だが、主な捕食者であるヒゲクジラは、20世紀の産業捕鯨の時代にはほとんど姿を消していた。
近年、魚の餌にしたり栄養価の高い油を抽出したりするためのオキアミ漁がさかんになってきているが、サボカ氏によれば、南極海がオキアミであふれかえっていない理由を説明するほどの産業規模ではないという。
1980年代後半、海洋生物化学者のジョン・マーティン氏は、南極海の鉄分不足がオキアミの主な餌である植物プランクトンの数を制限しているのではないかという仮説を立てた。植物も動物も微量の鉄分しか必要としないが、鉄分がなければ生きていけないからだ。
その後の実験で、クジラの糞(ふん)は海の中で最も鉄分を多く含む物質の1つであることがわかった。この鉄分は、サハラ砂漠など陸上から流入する砂とともに、南極海の鉄循環を支えている。
クジラは深い海で鉄分を含むオキアミを食べ、海面に浮上して鉄分を含む糞をする。海に浮いたその糞を植物プランクトンが摂取し、それをオキアミが食べる。こうして、クジラの糞が増えれば植物プランクトンが増え、植物プランクトンを餌にするオキアミも増え、オキアミを餌にするクジラも増えるという正のフィードバックループが生じる。

南極海のヒゲクジラ、特にナガスクジラの亜種やミンククジラの個体数がまだ回復の途上であることを考えると、オキアミの個体数がまだ回復していないのも納得できるとサボカ氏は言う。しかし、明るい兆しもある。南大西洋西部のザトウクジラの個体数は、20世紀半ばにはわずか450頭であったが、現在は2万5000頭まで増加しているのだ。
一方で異論も
英ロンドン大学インペリアルカレッジの海洋生物化学者エマ・ケイバン氏は、この研究を高く評価する一方で、「オキアミが減ったのはクジラの個体数が減ったからだ」と考えるのは「単純すぎる」と批判する。オキアミの減少には気候変動と漁業も一役買っている。
例えば、極地では気候変動が急激に進んだ結果、海水温が上昇したり、酸性度が高くなったりして、植物プランクトンが減少する可能性がある。
そうだとしても、今回の研究は、健全な海にはクジラとその排せつ物が必要であることを強く印象づけるものだとケイバン氏は言う。
(文 CARRIE ARNOLD、訳 三枝小夜子、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック ニュース 2021年11月5日付]