アメリカに1000年前の大都市 突如、衰退どうして?

日経ナショナル ジオグラフィック社

2021/12/26
ナショナルジオグラフィック日本版

推定62万立方メートル分の土から作られた高さ約30メートルのモンクス・マウンド。米国のカホキア墳丘群州立史跡で最も高い建造物だ(IRA BLOCK/NATIONAL GEOGRAPHIC IMAGE COLLECTION)

米イリノイ州、ミシシッピ川の東に、先住民が築いた大都市の遺跡がある。カホキアだ。西暦1000年から1200年代の最盛期には、この都市は面積約16平方キロメートルに達し、住民たちは墳墓や公共建造物、さらには「ウッドヘンジ」と呼ばれる天文観測所を建設した。

なかでも大きな存在感を放っていたのは、メキシコ以北最大の土塁であるモンクス・マウンドだ。複数の段からなるこの墳丘は、約30メートルもの高さにそびえていた。

カホキアの墳丘群は、その昔、メキシコの砂漠と北極圏に挟まれた地域において最大規模をほこった「ミシシッピ文化」の核となる遺跡だ。農業文明であるミシシッピ文化は、西暦800年ごろから最盛期の13世紀頃にかけて今の米国中西部と南東部に広がった。アメリカ先住民の最も優れた業績の一つとも言われるカホキアには、この文化の痕跡が目に見える形で残されている。

ワシをかたどった銅製の頭飾り。イリノイ州で発見(SMITHSONIAN INSTITUTION/DEPT. OF ANTHROPOLOGY)

カホキアが見捨てられてきた理由

現在、カホキアは、イリノイ州の史跡、国の歴史的建造物、ユネスコの世界遺産に指定されている。しかし、近年までは地元の人たちしか知らない遺跡だった。その背景には深い事情がある。

カホキア墳丘について初めて詳細な記述を残したのは、ヘンリー・M・ブラッケンリッジだった。弁護士でアマチュア歴史家だったブラッケンリッジは、1811年、周辺の草原を探索している最中に偶然、この遺跡と巨大な中央墳丘を見つけた。「非常に驚かされた。まるでエジプトのピラミッドを眺めているような気分だった」と書き残している。

ブラッケンリッジの発見を報じた新聞記事は、ほとんど話題にならなかった。ブラッケンリッジはこれについて、友人の元大統領トーマス・ジェファーソンに宛てた手紙で不満を述べている。友人にこうした著名人がいたことで、カホキアの存在はようやく知られるようになっていったものの、その後もさして注目を集めることはなかった。

1830年にアンドリュー・ジャクソン大統領が制定したインディアン強制移住法は、東部の先住民をミシシッピ以西の土地に移住させることを命じたもので、その前提には、アメリカ先住民は「野蛮人」であるという白人至上主義的な考え方があった。

かつて栄えた大都市があったという証拠は、こうした考えにとって都合が悪かった。19世紀の歴史家たちは、カホキア墳丘群を築いた人々の正体について、フェニキア人からバイキング、さらには失われたイスラエルの部族まで、滑稽なほど多様な候補を挙げてみせた。それほどまでに、アメリカ先住民の技術や尽力を認めたくなかったのだ。

米国の大学でさえ、カホキアをはじめとする国内の遺跡にはほとんど目を向けなかった。1880年代になってようやく、スミソニアン協会のサイラス・トーマスが何年もかけて現地調査を行った末、墳丘群がアメリカ先住民のものであることを証明した。それでもカホキアや近隣の墳丘群の価値を認める人の数はそう多くはなかった。

カホキアの全盛期には、防御柵が数々の墳丘と住居を守っていた(RICHARD SCHLECHT/NATIONAL GEOGRAPHIC IMAGE COLLECTION)
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ただの巨大な土の山ではなかった