法医学×考古学で解き明かす5000年前の死者の謎

日経ナショナル ジオグラフィック社

2022/3/26
ナショナルジオグラフィック日本版

チリ北部の海岸で発見された古代の人骨が、溺死者を特定する現代の法医学の手法を用いて分析された。遺骨の持ち主は漁師で、5000年前の太平洋で溺れた可能性が高いことがわかった(ALAMY)

約5000年前、現在の南米チリのアタカマ砂漠沿岸に、太平洋の冷たい水で溺れた1人の漁師が打ち上がった。漁師の身に何が起こったのか。地質学者や人類学者らが、法医学を応用して解き明かそうとしている。

現在、溺死診断の際に用いられる「珪藻(けいそう)検査」は、溺死者の体に何が起きるかを根拠としている。溺れたときに吸い込んだ水は、肺を破り、骨や骨髄を通る毛細血管まで、瀕死(ひんし)状態の体内を駆け巡る。

珪藻はシリカの殻に覆われた微細な藻類で、海や川や湖などのあらゆる水中に生息する植物プランクトンの仲間だ。法医学者は溺死診断にあたって、死体の骨髄を調べ、珪藻を探す。2022年2月8日付「Journal of Archaeological Science」に発表された論文の著者たちは、珪藻検査が数千年前の人骨にも有効であることを確認した。これは画期的な成果といえる。先史時代の津波を調査し、その犠牲者を特定する手法として応用できるかもしれないためだ。

論文著者の1人である英サウサンプトン大学の地質学者ジェームズ・ゴフ氏は「大きな津波が起きると、多くの人が犠牲になります。では、先史時代の犠牲者たちはどこにいるのでしょう?」と問い掛ける。

溺死の証拠が見つかった

ゴフ氏は、古代の津波の研究者でもあり、アタカマ砂漠北部の海岸にある遺跡カポカ1で、珪藻検査を試すのに適した5500年前の墓があることに気づいた。

それは、やはり論文著者の1人で、チリのコンセプシオン大学の人類学者ペドロ・アンドラーデ氏が16年に調査した墓だ。アンドラーデ氏は墓に埋葬されていた遺骨をおそらく漁師だと判断した。頻繁に舟をこいでいたことを示唆する骨の摩耗、魚介類ばかり食べていたことを示す同位体分析の結果が理由だ。

頻繁に舟をこいでいた形跡があり、魚介類ばかり食べていたことから、この骨の持ち主である成人男性は漁師だった可能性が高い。四肢を広げ、欠けた頸椎を貝殻で補うという珍しい方法で埋葬されていた(PHOTOGRAPH BY PROFESSOR ALVARO ANDRADE)

この男性の骨格はほぼ完全な状態だったが、頸椎(けいつい)がなく、大きな貝殻に置き換えられていた。また、両腕で異なる方向を指し、片脚を突き出しているような姿勢を取っていた。

「考古学的な遺物を対象とした珪藻検査の概念実証に最適な遺骨だった」と、ゴフ氏は説明する。「骨の構造から漁師であることはわかっていましたし、埋葬の方法が変わっていたため、海で溺れたかどうかを確認してみようと思いました」

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ミノア噴火で起きた津波の犠牲者を調査