2021/12/27

残された謎を検証

攻撃に至るまでの出来事を含め、これらの疑問に対して少なくともいくつかは答えがあると、考古学者たちは考えている。

要塞の壁が建設されたのは紀元400年ごろ。当時、ローマの力は弱まっていた。ローマとの交流で裕福になったこの地域はその影響を受けていたはずだ。

ローマがエーランド島に物資や仕事を提供できなくなってくると、社会の構造が変化し始めた。476年に西ローマ帝国は滅び、旧ローマ世界には不安が広がった。民族移動時代と呼ばれるこの時代には、近隣の集団同士で多くの争いが起きた。

サンドビーボルグ遺跡のハウス40にあった、さやから発見された銀メッキのペンダント。ローマとの交易やローマ軍への従軍によってエーランド島のエリートたちは豊かになった(DANIEL LINDSKOG)

スウェーデン、カルマルにあるリンネ大学のクララ・アルフスドッター氏は、サンドビーボルグで集められたすべての証拠を検証した。「犯人たちは留まって戦利品を探すことにはあまり興味がなかったようだ」と学術誌『European Journal of Archaeology』で述べている。彼らの動機はおそらく、復讐(ふくしゅう)だったという。「過去の不正義に対する悪感情、およびサンドビーボルグを脅威とみなしたことに基づく」復讐だ。究極的には、虐殺の動機は、「おそらく、この地域における権力と支配力を獲得するため」だったという。

襲撃者たちは間違いなく、サンドビーボルグを全滅させるという目的を果たし、その日、全ての集落が消滅した。死体の処理も行われなかったため、サンドビーボルグには呪われた場所という印象が付きまとい、トレジャーハンターたちを遠ざけてきたのかもしれない。そして、この地が手付かずであることは、考古学者にとっては、鉄器時代の恐ろしい暴力の瞬間が完璧に保存されているという恩恵をもたらしている。

(文 ANTONIO RATTI、訳 桜木敬子、日経ナショナル ジオグラフィック社)

[ナショナル ジオグラフィック ニュース 2021年12月5日付]