
ロング氏は戦後、貨物専門航空会社「フライング・タイガー・ライン」に入社した。最初はナビゲーターだったが、やがてパイロットになった。北極圏での飛行が多かった彼は、北極点と南極点を通るルートで地球を一周するアイデアを思いついた。
ロング氏は資金調達法のヒントを求めてイアハートに関する文献を読み漁り、1971年にこの世界初の偉業を成功させた。彼は数々の記録を塗り替え、新しいプロジェクトに意欲を燃やした。ロング氏は妻のマリーとともに、無線技士、ナビゲーター、パイロット、世界一周を成功させた飛行機乗りとしての専門知識を駆使して、イアハートに何が起こったのかを突き止めようと考えた。
彼らは、ロッキード・エレクトラの無線方向探知機を設計した人物から、ニューギニアで飛行機の燃料を補給した人、イタスカ号からイアハートに連絡しようとした無線技士まで、イアハートの飛行に関わったすべての人に話を聞いた。そして、イタスカ号の無線記録や、前半の飛行でのヌーナンの航空図など、あらゆる資料を探し出した。

ロング夫妻が調査結果を発表するまでには25年以上の時間を要した(マリーさんは03年に死去した)。結論はこうだ。ロッキード・エレクトラは、一連のミスが重なり、燃料切れでハウランド島北方の海上に墜落した。
ロング夫妻によると、この飛行に関わったほぼ全員がミスを犯していたか、持っていた情報が間違っていたという。ヌーナンは、自分が持っている航空図が古く、ハウランド島が実際の位置より10キロも西に描かれていることに気づいていなかった。また、自分のコンパスに狂いはないと思っていたが、実際には4度近くずれていた。
イタスカ号の無線技士は、イアハートとヌーナンがモールス信号を知っていると思っていたが、彼らはそれを知らなかった。また、同じ時間スケジュールで動いていると思っていたが、そうではなかったため、交信がうまくいかなかった。

さらに、エレクトラ号の無線機は、イタスカ号が方向探知を行うのに必要な周波数を発信できず、ハウランド島の無線機は彼らが島に近づく前にバッテリー切れになってしまった。それだけではない。エレクトラ号が積んでいた燃料の量は、想定よりも少なかった。熱帯地方の高温により、ラエの貯蔵タンク内の燃料が膨張していたからである。
こうしたミスの一つ一つは克服できないものではないが、重なってしまうと致命的なことになる、とロング氏は言った。これらのミスがエレクトラ号の航路にどのような影響を及ぼしたかをプロットすれば、機体の残骸を探すべき場所がわかるはずだ。しかし、ロング氏の計算をもとに海洋調査会社ノーティコスが行った2回の探査では何も発見されなかった。

イアハートが写っている? 疑惑の写真
人々はそれでもアメリア・イアハートを探し続けている。2017年には『ヒストリーチャンネル』のドキュメンタリー番組で、マーシャル諸島のジャルート環礁で撮影された、イアハートとヌーナンらしき人物が写った写真とともに、アキヤマさんの話が取り上げられた(その後の調査で、この写真は2人が消息を絶つ2年前に出版された本に掲載されていたことが判明した)。
19年には、ロバート・バラード氏が率いる遠征隊がハウランド島から600キロほど南にあるニクマロロ島を捜索し、TIGHARのメンバーはそこに漂着者が暮らしていた証拠を見つけたとしている。バラード氏とE/Vノーチラス号のチームは、ニクマロロ島の周辺の海底で飛行機の残骸を探したが、それらしきものは見つからなかった。
20年にはノーティコス社のチームが無線信号のテストを行い、イアハートがハウランド島から目視できる範囲内にいたことを証明して、次に探すべき場所を絞り込んでいる。
捜索は今も続いている。
(文 RACHEL HARTIGAN、訳 三枝小夜子、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 日本版サイト 2022年2月27日付]