メシカが都を築くべき場所を示すためにウチワサボテンに舞い降りたワシ(PHOTOGRAPH BY BODLEIAN LIBRARY, OXFORD, ENGLAND)

アステカの都市国家は、貢ぎ物のほか交易によっても潤っていた。アステカの中心を成していたテノチティトラン、テスココ、トラコパンの三国同盟に関する知見の多くは、テノチティトランの貢ぎ物の絵文書から得られたものだ。

テスココとトラコパンに関するこの種の記録は見つかっていなため、全体像はまだ明らかではないものの、15万人から30万人と言われるテノチティトランの住民の暮らしがどのように支えられていたかを知る上で、絵文書は興味深い資料だ。食料、原料、布地は都市の近郊で調達され、金、天然ゴムの樹脂、カカオ、貴重な羽毛などのぜいたく品は広大な帝国の遠く離れた場所から運ばれていた。

アステカ帝国として知られる三国同盟は、交易路や原料を求めて周囲の土地を征服していった。研究者は、帝国の拡大には宗教も大きな役割を果たしたと考えている。アステカは宇宙の秩序を維持するために人身御供を必要としたからだ(NG MAPS)

権力の中心

メシカはもとは遊牧民で、移住を繰り返した後、都市国家アスカポツァルコが支配するメキシコ盆地のテスココ湖の島々に定住した。メシカは傭兵として活躍し、激しい戦いぶりで知られていた。彼らは、10世紀から12世紀にかけてこの地域を支配し、強大な文明を築いたトルテカ人と同じナワトル語を話した。

1325年ごろ、メシカはテノチティトランを建設して首都としたが、その後も長らくアスカポツァルコの支配下にあった。15世紀初頭にアスカポツァルコの君主が死去して後継者をめぐる争いが起こり、国力が衰退すると、1428年に、テノチティトラン、テスココ、トラコパンの3都市による新たな勢力「三国同盟」が誕生した。

三国同盟が成立した当初はテスココとテノチティトランの2都市が優勢だったが、やがてテノチティトランが単独で大きな力を持つようになる。

三国同盟はアスカポツァルコをはじめとする近隣の国々を支配下に置いていったが、領土の拡大に熱心というわけではなかった。しかし、1450年から1454年にかけて大飢饉(ききん)がメキシコ盆地を襲い、状況が変わった。三国同盟は食料を生産する土地を必要とし、他の都市国家の征服が始まった。

領土の拡大は、三国同盟の実質的な支配者であるテノチティトランの第6代の統治者アシャヤカトルの下で加速した。

次のページ
帝国の拡大と崩壊の背景
ナショジオメルマガ