ブドウを籠に入れ海に沈める 不思議なマリンワイン

ナショナルジオグラフィック日本版

イタリア、エルバ島の急斜面に広がるブドウ園。エルバ島では2021年、2000年以上前につくられていたマリンワイン(海のワイン)が復活を遂げた(PHOTOGRAPH BY DIRK RENCKHOFF, ALAMY STOCK PHOTO)

2018年9月の穏やかな朝、ワイン生産者のアントニオ・アリギ氏は初めて、ブドウが入った籠を地中海に沈めた。太陽が降り注ぐイタリア、エルバ島の隣人たちはあっけにとられていた。「アントニオはおかしくなったのだろうか?」

アリギ氏はこのとき、ブドウを5日間海に沈め、ユリウス・カエサルも好んだと言われる古代ギリシャの逸品「マリンワイン」(vino marino、「海のワイン」の意)の製法を復活させようとしていた。

この黄金色のワインは、エルバ島が属するトスカーナ群島と深く関わっている。アリギ氏のブドウ園からそう遠くない海底では、古代ギリシャのアンフォラ(陶製のワイン壺)の破片が発見されている。その昔、マリンワインの生産地ギリシャ、ヒオス島(キオス島)の商人たちは、このワインが人気を集めていたフランス、マルセイユからの帰り道に、ミネラル豊富なエルバ島にしばしば立ち寄っていたと、アリギ氏のプロジェクトに協力したイタリア、ミラノ大学のブドウ栽培学教授アッティリオ・シェンツァ氏は語る。

21年7月、2000年以上のときを経て、この特産品が市場に戻ってきた。アリギ氏のワイナリーが240本のマリンワイン「ネソス」を発売したのだ。

イタリアでは今、古代のブドウ栽培技術を復興する動きが起きている。アリギ氏をはじめとする多くのワイン生産者が、過ぎし時代の自然で持続可能な少量生産のワインを再現しようとしている。物語のあるワインは、いつの時代も価値がある。そして、これらは味のタイムマシンでもある。

エルバ島にあるアントニオ・アリギ氏のワイナリーで、従業員がブドウを籠に入れ、海に沈めようとしている。ユリウス・カエサルが好んだと言われる、古代ギリシャのマリンワインをつくるための重要な工程だ(PHOTOGRAPH BY ARRIGHI WINERY)

「海のワイン」復活への取り組み

マリンワインほど謎に包まれた酒はほとんどない。歴史家の大プリニウスが記録しているように、古代ローマで人気があったにもかかわらず、ヒオス島のワイン生産者は製法を厳重に管理していた。後に判明したことだが、その秘密はブドウを塩水に浸すことだった。これにより、ブドウの表面に白い粉のようにつくロウ状の成分、ブルームが自然に取り除かれ、天日で素早く乾燥させることができる。その結果、芳香が十分に保たれ、ほかにはないしっかりした味わいが生まれる。

アリギ氏のプロジェクトに協力したイタリア、ピサ大学の教授で、食品技術を専門とするアンジェラ・ジナイ氏は「海とワインには長いラブストーリーがあります」と言う。「海はワインとその文化を生産地から消費地まで、つまり、世界のすべての国に運ぶ道でした」

「私がエルバ島でやります!」とアリギ氏が宣言したのも、海とワインのつながりを知ったことがきっかけだ。アリギ氏はあるワイン会議で、遠い昔に廃れた製法を詳しく聞いた。アリギ氏はアンソニカ種のブドウをロブスター捕獲用の手編みの籠に入れ、ダイバー3人の協力を得て海中に沈め、深さや期間を変えて海水に浸した後、陶製の容器で皮ごと発酵させた。

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在来種のブドウを守る生産者
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