日経ナショナル ジオグラフィック社

2022/2/19

FWSとしては、メキシコオオカミは2国間を行き来する個体がいなくても回復できると考えていると、FWSの広報担当者エイスリン・マエスタス氏はナショナル ジオグラフィックの取材に答えた。

FWSが採用する生物学的モデルは、「群れ同士の距離、国境の存在、群れを離れた個体で観察される死亡率の高さにより、米国とメキシコの群れのつながりは限定的」だと想定している。それでも科学者たちは、12~16年に1度、1頭程度が他方の群れに移動する可能性があると推定している。ただし、この計算は壁が計画・建設される前になされたものだ。

「群れの間の移動が成功すれば、集団の遺伝子にとって良い結果につながる可能性はありますが、遺伝的多様性を保つために飼育下からの再導入が行われている現在、集団間の移動が成功しなくても、メキシコオオカミの回復は可能です」とマエスタス氏は言う。FWSは、飼育下で生まれたオオカミの子どもを定期的に野生に導入している。ミスター・グッドバーもそうだった。この方策に対しては賛否両方の意見がある。

瀬戸際からの復活

タイリクオオカミ(Canis lupus)の亜種であるメキシコオオカミ(Canis lupus baileyi)は、米国の絶滅危惧種保護法(ESA)で保護されている。タイリクオオカミよりやや小型で、かつてはアリゾナ州、ニューメキシコ州、テキサス州、メキシコ北部に広く分布していた。しかし、米国政府は畜産業のためにメキシコオオカミの駆除に乗り出し、1930年代には繁殖する最後の個体が米国から姿を消した。しかし、1976年には絶滅危惧種に指定され、長年の方針が転換された。

翌年、政府はメキシコ北部に残る最後のオオカミを生きたまま捕獲するため、それまではオオカミを殺す側だった罠(わな)猟師ロイ・マクブライドを雇った。そして、彼が捕らえた3頭と、すでに捕獲されていた4頭の計7頭を飼育下で繁殖した。

1998年以降は、その子孫をアリゾナ州東部とニューメキシコ州西部の原野に放している。2021年3月時点で、2つの州には前年比14%増の推定186頭が生息する。また、メキシコ北部の小さな集団には数十頭が暮らしている。それでも遺伝的多様性は危険なほど低いとロビンソン氏は言う。

理想的には、2つの群れのオオカミが自然に接触して交配し、遺伝子プールが広がることが望ましい。しかし、そのような移動をするためには、ミスター・グッドバーがこれまでに2度横断した州間高速道路10号線をはじめ、多くの障害がある(21年2月、1頭のメキシコオオカミがこの道路沿いで車にひかれて死亡した)。

新しく建設された国境の壁は、そのような通行をまったく許さない。オオカミをはじめ、行動域が広く、移動が「長期的な遺伝的存続に不可欠」である動物にとっては有害だと、ノルウェー自然研究所の生物学者で、オオカミなどの捕食者とヒトとの相互作用を研究するジョン・リンネル氏は述べる。

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