「自由がない」は誤解だった 古代ギリシャの女性たち

日経ナショナル ジオグラフィック社

ナショナルジオグラフィック日本版

衣服を箪笥(たんす)に入れる女性が彫られた古代ギリシャのレリーフ(紀元前5世紀)(BRIDGEMAN/ACI)

古代ギリシャの女性たちはどんな役割を持ち、どんな暮らしをしていたのか。近年の研究で、新たな一面が明らかになりつつある。

従来、強調されてきたのは、彼女らの生活がいかに制限され、隠されていたかということだった。女性たちは公的な場から排除され、市民権を認められず、法的・政治的な地位もなかった。「ポリス(都市国家)」から排除され、妻、母、娘として「オイコス(家)」に押し込まれていたと考えられていた。

こうした見方の根拠となったのは、古代ギリシャの古典文献だ。クセノフォン、プラトン、トゥキディデスは、女性は男性よりも劣っていると語っていた。アリストテレスの『政治学』にも、本質的に男性は優れていて、女性は劣っており、男性は支配者であり女性は臣下であると記されている。

これらの文章の多くは、女性に対して最も厳しい態度をとっていたアテナイ(アテネ)で書かれたものだ。スパルタなど、アテナイ以外のポリスでは、女性はもっと自由で、運動したり鍛錬したりすることが奨励されていた。

地域による自由度の違いがあるように、社会階層によっても自由度の違いがあった。貧しい女性や奴隷の女性は、洗濯婦や織り手、物売り、乳母、助産師として働いていた。当時の陶磁器には、市場で働いたり水を汲(く)んだりする奴隷の女性が描かれている。

一方、宗教においては古代ギリシャの女性はより複雑な役割を得ていた。ギリシャ神話には、アテナ(戦争と知恵の女神、アテナイの守護女神)、アルテミス(狩猟と山野の女神)などの強力な女神が大勢登場する。古代ギリシャの女性たちは、巫女(みこ)として生きることで、従来考えられていたよりも大きな自由と尊敬を手にしていたことが、考古学者たちによって明らかにされている。古代ギリシャの女性たちの役割は画一的ではなく、多様だったのだ。

婚礼の儀式

古代ギリシャの一般的な女性の人生は、「コレー(少女)」、「ニュムペー(第1子が生まれるまでの若妻)」、「ギュネー(女性)」の3つの段階を軸にして展開された。大人になるのは、10代前半から半ばで結婚するときだ。

婚礼の日には、女性の参列者たちが泉からルトロフォロスと呼ばれる壺(つぼ)に水を汲んでくる。花嫁は彼女たちの助けを借りてこの水で体を清め、衣装を着て、冠をつける。婚礼の儀式は父親の家で執り行われ、式が終わると、花嫁の保護者としての義務と権利は父親から花婿へと正式に移った。

新婚夫婦は祝いの行列に先導されて新居へ向かい、祝宴は翌日まで続いて、花嫁は自分の家族や友人から贈り物を受け取った。ほとんどの花嫁が持参金を持っていったが、離婚するときには妻の父親に全額が返還された。

結婚の儀式に使われた壺「ルトロフォロス」(紀元前340〜前330年ごろ)(METROPOLITAN MUSEUM/SCALA, FLORENCE)

女性の居場所

女性たちは家では専用の「婦人部屋」を使っていた。婦人部屋の様子は、墓碑や陶磁器に詳細に描かれている。女性たちは家事全般を担っていた。主な仕事のひとつは糸を紡いで布を織ることで、多くの家に織機があった。

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