考古学者は、女性たちが使ったエピネトロンを大量に発見している。エピネトロンとは、木製や陶器製の半円筒形の腿(もも)当てで、羊毛を梳(す)くときに脂で衣服が汚れないように、片方の太腿に載せて使われていた。美しい装飾のあるエピネトロンは婚礼の贈り物として人気があり、その多くに、愛と美の女神アフロディーテの頭部がついていた。

子どもの世話も女性の仕事だった。女子と幼い男子は女性が教育し、ある年齢を過ぎた男子には教育係がついた。女子は音楽も学び、竪琴を習うことが多かった。女性たちは家族の葬儀で重要な役割を担っていた。遺体に油を塗ったり、衣服を着せたりして遺体を整え、葬列にも参加した。
高い教育を受け、芸術や科学に貢献した女性もいた。紀元前350年ごろには、プリウスの街のアクシオテアがプラトンに師事して哲学を学んだ(男装していたとする文献もある)。紀元前6世紀のデルポイの巫女テミストクレア(別名アリストクレア)は哲学者として知られ、哲学者にして数学者でもあったピタゴラスの師だとされている。

信仰生活
巫女として聖なる儀式に参加する女性たちは、家庭以外での生活を享受した。考古学者のジョーン・ブレトン・コネリー氏は、古代ギリシャの宗教活動は「女性が男性と同等の役割を担える唯一の場」だったとしている。
実際、神々に仕える巫女の地位は非常に高かった。アテナイで最も重要な宗教的役割を果たしていたのはおそらくアテナ神殿の高位の巫女で、普通の女性にはないさまざまな権利や名誉を手にしていた。
デルポイ(デルフォイ)のアポロン神殿の巫女も、古代ギリシャで最も権威ある役割のひとつを担っていた。この巫女はアポロンの神託を告げると信じられ、古代世界の各地から男性たちが相談に訪れていたという。
巫女は神聖な祭事でも重要な役割を果たし、なかには女性のみで行う祭事もあった。その多くは収穫に関連した祭事だった。テスモポリア祭では、女性たちが集まって農耕の女神デメテルとその娘ペルセポネに敬意を表した。ワインの神ディオニュソスを祝すレナイア祭では、女性たちはディオニュソスの巫女として狂乱状態で儀式に参加した。
古典学者たちは、長く隠されてきた古代ギリシャの女性たちの生涯に、多くの複雑な要素を見出すようになっている。こうした事実によって、古代ギリシャ文化の全体像を、より正確に把握することが可能になってきている。古代ギリシャの女性たちは、これまで考えられていたよりもはるかに豊かで多彩な生活をしていたのだ。
(文 MARÍA JOSÉ NOAIN、訳 三枝小夜子、日経ナショナル ジオグラフィック)
[ナショナル ジオグラフィック 日本版サイト 2022年10月16日付]