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ゴールドマン・サックス証券を経てベンチャー企業GENDA(東京・大田)を共同創業した申真衣氏(37)は、ゲームセンター運営会社などを傘下に持つ同社を社長としてかじ取りしながら、ファッション誌「VERY」の専属モデルもつとめる異色の経営者だ。出身は関西トップクラスの女子進学校である四天王寺中高(大阪市)。どんな子ども時代を過ごしたのか。

勤務医の父、ピアノ教師の母のもと、3歳上の姉と4歳下の妹の3姉妹で育った。幼少期は周囲に合わせるのが苦手で、マイペースな性格だったという。

父はとても多忙だったので、母がピアノ教師の仕事をかなりセーブしながら、3人姉妹の子育てをほぼ1人で担っていました。両親は在日韓国人で、私たち姉妹は3世になります。母はもともとほんわかした性格なのですが、子育てに関しては「自分がしっかりしなきゃ」と思っていたのか、かなり真面目に頑張っていたようです。育児本を読み込んで、特に「子どもには勉強しなさいと言わない方がいい」という教えを忠実に守っていました。おかげで私たち姉妹は、一言も勉強のことを言われずに育ちました。

私は小さい頃から本が好きでした。小学校では図書館で1日1冊借りられるようになっていたので、毎日必ず借りに行き、夢中で読んでいました。授業中も先生の話を聞かずにひたすら本を読んでいるので、みんなが音楽室に移動しても気づかない、なんてこともしょっちゅう。そういう時も「ま、いいや」とそのまま教室で本を読み続けるような、かなりマイペースな子どもでした。登下校中も二宮金次郎スタイルで本を読みながら歩いていて、電柱に頭をぶつけたりもしていました。

宿題も面倒くさいなと思って全然やらないし、授業も聞いていないし、みんなと同じ行動もできないし、きっと母は先生から何か言われていたに違いありませんが、私には一切何も言いませんでした。今、私は5歳と1歳の娘を育てていますが、自分が親になって初めて、黙って見守ってくれていた母のすごさがわかりました。「子どもを信じて待つ」って本当に難しいですからね。

GENDA社長 申真衣氏

GENDA社長 申真衣氏

でも周りになじめないマイナーキャラは、小3のクラス替えで一変しました。私は今、身長が171センチありますが、当時から背が高く目立っていたせいか、突然、学級委員に選ばれたのです。それまではルールから逸脱してばかりだったのに、他の人に「ルールを守って」と言う立場になり、急に「社会的な人間」に変身しました。6年生では生徒会長をやるまでになりましたから、すごい変化です。

勉強に関してもコツコツ真面目に取り組むようになりました。周りに中学受験をする子が多かったので、自然の流れで私も受験しました。

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