井上芳雄です。6月13日(日本時間)に第75回トニー賞授賞式が開催されました。その模様を生中継・ライブ配信したWOWOWのスタジオで、宮澤エマさんと一緒にナビゲーターを務めました。授賞式には、当たり前のようにいろんなジェンダーや人種の人たちがいて、壁を取り払おうという流れが加速していることが伝わってきました。ノミネート数もコロナ禍が始まる前の水準に戻り、ブロードウェイが元気を取り戻してきました。

トニー賞は、米演劇界で最高の栄誉とされる賞。その授賞式は全体がショーアップされていて、ブロードウェイの現状が垣間見られる豪華なパフォーマンスが見どころです。前回(第74回)は新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、昨年9月にウインター・ガーデン劇場での開催に変更されましたが、今年は例年通りのスケジュールで、会場もラジオシティ・ミュージックホールに帰ってきました。長く劇場の閉鎖が続いていたブロードウェイの再開を祝うセレモニーの色合いが強かった前回に比べると、ノミネート数も34作品と前回の倍近い数字で、コロナ禍前の水準に戻ってきました。ニューヨーク在住の演劇ジャーナリストの影山雄成さんがスタジオに来てくださったので、現地の空気をうかがったところ「ほとんど元に戻っていますよ」とのこと。まだ完全とはいえないでしょうが、ブロードウェイが活気を取り戻し、みんながそれを表現し始めていると感じました。
オープニングでは、司会を務めたアリアナ・デボーズがダンサーを従えてパフォーマンスを披露して、まず度肝を抜かれました。彼女は映画『ウエスト・サイド・ストーリー』のアニータ役で今年のアカデミー賞助演女優賞に輝いた、今すごく勢いのある女優さんです。もともとは舞台出身で、2018年には『サマー』でトニー賞のミュージカル助演女優賞にノミネートされています。その彼女が冒頭5分間くらい、ダンサーを従えて、持ち上げられたりしながら、ミュージカルの名曲メドレーを歌って踊りまくりました。歌も踊りも本当にうまいし、曲もポップスっぽくアレンジされてかっこいい。そのレベルの高さに驚かされて、幕開けから心をわしづかみにされました。
注目のミュージカル作品賞を受賞したのは『ア・ストレンジ・ループ』です。主人公アッシャーは性的マイノリティーの黒人男性で、劇場で案内係をしながらミュージカル作家をめざしています。自らの境遇を投影した作品を執筆していると、6人の「心の声」が現れ、作品の内容に次々と口を出して、それに思い悩んでいくというストーリーです。主人公役のジャクエル・スパイヴィーがとても魅力的で、僕はただただ目をひかれました。この作品がプロとして初舞台で、ミュージカル主演男優賞にノミネートされたのも驚きです。「心の声」の1人を演じたL・モーガン・リーが、トランスジェンダーの俳優として初めてトニー賞(ミュージカル助演女優賞)にノミネートされたことも話題になりました。
スタジオには、ブロードウェイで活躍している演出家のマイケル・アーデンがゲストとして来てくれて、この作品について語ってくれました。彼は、ミュージカル演出部門で2度トニー賞にノミネートされていて、6月に帝国劇場で開幕したミュージカル『ガイズ&ドールズ』では日本で初演出を手がけています。『ア・ストレンジ・ループ』の劇作家マイケル・R・ジャクソン(ミュージカル脚本賞を受賞)のことも知っていて、とても優れた才能だそうです。アメリカが長年抱えている人種差別や、近年のLGBTQといったジェンダーの問題に対して真摯に向き合い、そのまま社会の鏡として描いている作品で、今のブロードウェイが何を大切にしているのかがよく表れているという見方でした。
ブロードウェイでは、ジェンダーや人種の壁を取り払おうという流れが以前からあったのですが、今年のノミネートを見ると、それがさらに加速しているようです。ミュージカル作品賞候補の6作品中、4作品が人種問題や黒人差別を取り上げています。キャストやスタッフで性的マイノリティーを公表している人も増えています。授賞式の光景を見て、僕はジェンダーのユートピア(理想郷)みたいだと感じました。そこには当たり前のように、いろんな格好をした、いろんなジェンダーやいろんな人種の人がいて、お互いを認めて尊重し合っています。実社会ではまだまだ難しいことなのでしょうけど、だからこそ理想とする世界を舞台で表現しようとしている。これが加速していくと、男優賞と女優賞を分ける必要もなくなるかもしれません。
ただ、受賞結果の全体を見ると、傾向が偏るということはなく、今までのブロードウェイの流れをくんだものもちゃんと評価されていました。ミュージカル主演女優賞をとったジョアキーナ・カラカンゴが出ている『パラダイス・スクエア』は、人種問題を描いていますが、作品としてはオーソドックスな作りです。だから多様性の流れが加速しているけど、急激に全部が変わっているということではなさそうです。