――その会社でデジタルメディアの立ち上げに携わった後、なぜいったんメディア業界を離れるという選択をしたのでしょうか。

平松氏 今の仕事もメディアですし、業界構造を変えたいパッション(志)はずっとあります。ただ、当時は新卒が自分しかいなかったので、自分が社会でできる人なのかできない人なのか、その比較の尺度が無く、とにかく不安だったんです。もう一つの理由としては、編集者は著者と編集の1対1でやり取りをします。つまり「個での仕事」ですが、もっと「組織で行う仕事」に興味が出てきたからです。そこで当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだったソーシャルゲーム業界に転職しました。

「個の仕事」と「組織の仕事」の間を越境

――読者の中には「組織の仕事」をしている方の方が多いと思います。「個の仕事」と「組織の仕事」の越境をしてみて、いかがでしたか。

平松氏 組織の仕事は自分が数値目標を達成していても、全体で失敗することがあるというごく当たり前のことを学びました。ゲーム業界の場合、きちんと工数が管理されており、私は内勤だったこともあり、閉じた感じで仕事をしていました。そこでやっと、自分はいろいろな人、いろいろな業界、いろいろな関わりの中で仕事をしたいタイプなんだなと初めて気付くことができました。働く風土が合い、自分自身のパッションがあるのはメディア業界だと改めて確信し、戻ったわけです

――個の仕事の方が向いていることに気が付いたということですね。メディア業界の構造を変えたいという目標は、どういうパッションから出てきたものなのですか。

平松氏 私は適材適所という言葉が好きです。本当に良い書き手が市場原理のゆがみの中で評価されないことがあります。それが適正に評価される世の中にしていきたい。そういう思いです。根底にあるのは自分が好きな書き手が見合った報酬を得てほしいということです。私自身も兼業ライターとして仕事をするのは、世に知られていない才能を発信したいという思いからです。

――兼業ライターも個の仕事ですね。本業のスキルを兼業に生かせたことはありますか。

平松氏 世に知られていない人たちのことを発信するコンセプトの同人誌を友人たちと出したら、人気が出て、商業書籍になりました。好きなこと・人を発信するうちに、仕事になったのはうれしかったですね。本業で培った交渉スキルが役に立ったのは、自著をドラマ化・マンガ化した時です。原作者は企画の持ち込みを待つイメージがありますが、私たちの場合は自分たちで出版社やテレビ局にアプローチし、マンガとドラマの企画を実現させました。この時は本業のスキルが役立ちました。

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