
花の冠と草のスカートを身に着けたフラガールは、ホノルルに最初のクルーズ船が就航した1920年代以来、ハワイのおもてなしの象徴となってきた。今日でも、異国情緒の漂う踊り手の写真は、旅行会社のウェブサイトなどで多く用いられている。
過去200年の間に、人々から愛されるハワイの舞踊フラは、神聖な宗教的慣習から旅行者に人気の呼びものへと変わり、その過程で文化盗用の犠牲となり、消滅の危機にも陥った。
「人々は昔ながらのスタイルのフラを遠ざけ、その踊り手をまるで未開の人間であるかのように見ていました」と語るのは、「クム・フラ(フラの師匠)」で、ハワイの文化大使でもあるミカ・カモホアリイ氏だ。「フラはやがて、ハリウッドのショーのようなものになっていきました。本来のフラでは、セロハンのスカートやココナツのブラジャーを着けて踊ることは決してありません」
ハワイの人々にとって、フラは自分たちの歴史と物語を保存する生きたアーカイブであり、これを守っていくことは彼らの責任(クレアナ)だ。「フラはわたしたちが何者であるかを最も的確に表すものです。それはわたしたちの言葉を動きに置き換えたものなのです」と、1976年からフラを教えているクム・フラ(師匠)のマプアナ・デ・シルバ氏は言う。「フラで語られる物語には、わたしたちの生き方だけでなく、わたしたちの存在、わたしたちの世界が含まれています」
ハワイの文化関連の諸団体は現在、現地の人々および旅行者のために、より本来の形に近いフラを復活させ、保護することに力を入れている。「今の人々は歴史を求めています」とカモホアリイ氏は言う。「彼らは真実を知りたいと望み、ほんものに触れたいと思っているのです」

フラのルーツ
1778年に西洋文化と接触する以前、フラは数百年間にわたりハワイの生活の一部となっていた。踊り手たちは、神や族長をまつる儀式で詠唱に合わせて踊り、また天候のパターン、星々、地球と溶岩の動きなどを説明する物語を語っていた。
ハワイの神話には、フラの起源についていくつもの物語があり、その多くに火山と火の女神であるペレが登場する。伝説やそれに伴う体の動きは、地域によって異なる。「ハワイ島プナ地方では、激しい詠唱に合わせて踊ります。まるで溶岩が割れる音や、火山から聞こえる轟音(ごうおん)のような詠唱です」と、カモホアリイ氏は言う。「きれいな浜辺のあるカウアイ島では、海を彷彿(ほうふつ)させるメロディアスで流れるようなスタイルになります」
1820年以前、文字が存在しなかったハワイにおいて、フラは世代から世代へと知識を受け継いでいくための手段のひとつだった。しかし19世紀、キリスト教宣教師による影響が島々に広がるにつれ、聖なる舞踊フラは人々から敬遠されるようになっていった。フラは下品な異教徒の儀式とみなされ、公の場で踊ることを禁じられた。それでも、地方の村々では引き続き「ハラウ・フラ(フラの学校)」が開かれていた。
「わたしの先祖は、洞窟やサトウキビ畑で踊っていました。まわりにだれもいない深夜に練習をしていたのです」と、カモホアリイ氏は言う。「そうした古い舞踊を教え続けていくのは重要なことでした」