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社会で活躍する若手リーダーたちはどのようにキャリアを形成していったのでしょうか。経営コンサルティング会社、A.T. カーニーの滝健太郎パートナーが、「創造と変革のリーダー」を招き、そのキャリア観を深掘りしていきます。 

今回は、エンジニアとして活躍したあと、東南アジアに単身渡航し、海外子会社を立ち上げ、その後はフリーランスとして日本最大級のECサイトのリニューアルをリード、今は「LayerX」(ソフトウェアテクノロジーのスタートアップ)の創業期メンバー としてご活躍されている佐渡氏 (図表1)をお招きし、越境キャリアの経験がどのように生きたのか、明らかにします。

―――大学では国際政治経済を学んだ一方で、最初のキャリアはエンジニアでした。どのタイミングでプログラミングを習得されたのでしょうか?

佐渡氏 大学生の頃からサイバーエージェントで働いていましたが、私が慕っていた役員の方に「プログラミングは絶対やった方がいい」とアドバイスをいただいて勉強を始めました。

ただ、もともとずっと海外で仕事したくて、海外に行かせてほしいという話をしていたのですが、なかなかチャンスが無くて。サイバーで働いていたときに上司だった方が新しく会社を立ち上げた際に、私が海外に行きたいと言い続けていたのを覚えてくださっていて、ちょうど東南アジアに子会社を作ろうというタイミングで声をかけていただき転職しました。

―――なぜ海外で仕事をしたかったのですか?

佐渡氏 ちょうど東日本大震災のころですが、2011年にシリコンバレーに行きまして。そこでは、みんなが口々にUX(User experience)と言っていたんです。帰国してUXについて調べましたが何も検索にヒットせず、そのギャップに驚きました。シリコンバレーの場合は、AppleなどでハードウエアのUXを学んだ人たちが、FacebookやTwitterに転職し、今度はインターネット上のUXを良くするために体系立った知識が広まっていったのです。日本との差はかなり大きいなと思いました。せっかくやるなら日本でやるよりも、テクノロジーがもたらす変化の大きな場所で挑戦したいと考えるようになりました。

―――そのときにアメリカやシリコンバレーではなく、東南アジアに目を付けられたのは?

佐渡氏 同時多発テロ(9.11)以降、アメリカでは就労ビザや起業家ビザを取得するのが困難になりました。当時友人が複数名現地で起業したのですが、皆ビザが取れていなかったんですよね。ビザ取得にエネルギーをかけるより、価値創造にエネルギーをかけたほうが効率的だと思いました。それ以外のところで戦える土俵はどこだろうって考えた時に、東南アジアは人口ボーナスがこれから来ることは目に見えていました。シリコンバレーに行ったときに感じたUXの波や、これから起こる社会の変化はとても大きいだろうなって直感し、ゼロベースでやるなら東南アジアで戦ってみようと決めましたね。

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