「小劇場」でお芝居をするということ(井上芳雄)第124回

日経エンタテインメント!

日経エンタテインメント!

『しびれ雲』は11月6日(日)~12月4日(日)下北沢 本多劇場で上演。その後、兵庫、北九州、新潟で公演

井上芳雄です。11月6日から下北沢の本多劇場でストレートプレイ(セリフだけの演劇)の『しびれ雲』に出演します。KERAさんことケラリーノ・サンドロヴィッチさんが作・演出の新作です。2年前、KERAさんが演出する『桜の園』に僕も出演していたのですが、新型コロナウイルス感染症対策の緊急事態宣言発令を受けて全公演が中止になるという悔しい経験をしました。今回の企画はちょうどそのころKERAさんからお声をかけていただき、うれしくてすぐにお受けしました。KERAさんのような今の演劇界を代表する、作・演出家とご一緒できるのは本当に光栄なこと。今回もどんな世界を見せてくれるのか、楽しみでしようがありません。

『しびれ雲』の稽古は9月下旬から始まり、1カ月くらいたったころに1幕の台本があがりました。台本を書きながら稽古を進めるのがKERAさんのスタイルで、僕が前に出していただいた『陥没』のときもそう。そのときは稽古場での最終日に台本が仕上がりました。すでに経験をしているので驚きはしませんが、やっぱりすごいことをやっているなと思います。台本を書くのも演出も、どちらかだけでも大変なのに、どこか命を削って作品を創っているところがあるのではないでしょうか。

そういう作り方なので、僕たちもどういうストーリーでどんな役柄かはっきり知らされないまま稽古が進みます。最初の段階で分かっていたのは、時代は昭和10年ごろ。場所は梟(ふくろう)島という架空の島です。その島に住んでいる人たちの人間模様を描くのですが、派手な事件が起こるわけではなく、「小津安二郎監督の映画みたいに、古き良き日本の庶民の生活の雰囲気を出してみたい」とKERAさんは言っていました。なので稽古の最初のころは、みんなで小津監督の映画を見たり、昭和初期がどういう時代だったのかを学んだりしました。もちろん、歴史を描くのが目的ではないですけど。

梟島は、KERAさんが以前、作・演出された『キネマと恋人』の舞台。今回は同じ島の設定ですが、全然違う話で、作品のトーンも違います。ただ、KERAさんが作った梟島独自の方言があって、セリフの語尾が「何とかだり」とか「何とかがっさー」「何々しくさる」などとなるのは同じです。だから何とも不思議な空間ができています。

タイトルになっている「しびれ雲」はたぶんKERAさんの造語で、劇中では「不思議な形をした雲」としか語られません。梟島には、しびれ雲が見えると、そこから潮目が変わるという言い伝えがあって、それが最終的にどういう意味合いを持つのかは、今の時点では僕にも分かっていません。きっと、それぞれにそれぞれのしびれ雲があるのでしょう。

KERAさんの演出で今回驚きだったのは、「大爆笑させるようなものにはしたくない」と言われたこと。KERAさんの作品はいつもすごく笑いが多くて、笑いを突き詰めている人だと思うので、「くすりと笑うくらいにしたいんだ」という発言は意外でした。小津監督の映画もそうなのかもしれないけど、狙いどころがいつもと違うのかもしれません。

KERAさんの笑いはすごく明確です。とくに今回はご自身が台本を書いているから、どう言ったら面白くて効果的なのかを一番分かっています。だからこそ「この単語を強調して」とか「最後のこの文字の語尾は上げた方がいい」とピンポイントの指示になります。逆に言うと、そうじゃないと笑えないことも多々あって、役者からすると緊張感が高まります。確かに、その通りにやると、とてもおかしかったり、おかしさが増したりしますから。演劇って、どんなふうにセリフを言ってもいいと思うのですが、ことKERAさんのセリフに関しては正解がはっきりしていて、すごいなと思いながら演出を受けています。

KERAさんは今回、「作家の自分が演出家の自分に挑戦してきている」と言っていました。たぶん書いているときは作家に専念して、演出のことは考えないようにしていて、一方、演出家としては「これ、どうやればいいんだろう」と困りながらも、「まあ、俺が書いたんだけど」と笑っている。それを見ながら、自分を1回リセットできるのがKERAさんの強みだと気づきました。稽古場でも、同じシーンを何回も繰り返すのですが、そのときに「今まっさらにして見たんだけど」と言います。自分が書いて、稽古を何度も見ているのに、「初めて見たときに、ここは分からないと思った」とさらっと言う。知っている物事を、そうじゃないつもりで見るという感覚は、僕の中にあまりなかったので、面白いと感じたし、すごい才能だなと。そんな新しい発見もありました。

次のページ
日比谷の大劇場と下北沢の小劇場の間で