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神戸市の災害情報システム(スペクティ提供)

神戸市の災害情報システム(スペクティ提供)

1995年1月17日の阪神大震災と2011年3月11日の東日本大震災――。2つの大地震の体験から生まれたのが災害情報サービスのSpectee(スペクティ、東京・千代田)だ。SNS(交流サイト)に集まる被災現場のリアルな情報を分析し、人工知能(AI)を駆使して防災のためのデータを提供している。同社社長で『AI防災革命』(幻冬舎メディアコンサルティング)の著者、村上建治郎氏は「ハード面における日本の防災設備は世界トップクラスだが、ソフト面はまだまだ課題が多い」と警鐘を鳴らす。

「神戸・淡路」で被災、「東日本」でボランティア

――阪神・淡路大震災の時は被災者として、東日本大震災ではボランティアとして現地を経験したのですね。

「阪神・淡路大震災の時は大学生で、神戸市東灘区のアパートに下宿していました。1月17日の早朝に突然の大揺れで起きると、天井が目の前に迫っています。近くの小学校で一夜を明かした翌日から、倒壊した家屋から被災した人々を助け出す手伝いなどをしました。被災地では何もかもが足りません。しかし一番足りないのは人手だと痛感しましたね。学生生活の合間をぬって災害ボランティアに参加するようにもなりました」

――2011年の東日本大震災当時は東京の外資系IT企業に勤めていました。

村上建治郎・スペクティ社長は阪神・淡路大震災を被災者として東日本大震災を長期のボランティアとして体験した

村上建治郎・スペクティ社長は阪神・淡路大震災を被災者として東日本大震災を長期のボランティアとして体験した

「5月の連休後から有給休暇と特別に付与されたボランティア休暇を使い切り、8月末まで従事したのは瓦礫(がれき)の撤去などです。東京で見たTVニュースは、宮城・石巻市に全国から多くのボランティアが集まっていると報道していましたが、隣接する東松島市では全く人手が足りていません。映像を送る中継車の数には限りがあり、すべての被災地情報を伝えることはできないことに気づきました」

「私が利用したのは、当時普及が始まったばかりのSNS(交流サイト)。『ここでボランティアを募集している』『この物資が不足している』というリアルタイムのツイート(つぶやき)があふれていました。震災前は1日約1800万件だったのが3月11日は3300万件、その後も2200万件を超えていました」

――ボランティア活動から帰京して3カ月後に起業したのですね。

「起業を成功させるためには、必ずしも成長市場や大きな市場を狙う必要はないと思います。成熟していてもスタートアップならばニッチ(隙間)市場で存在感を示すこともできるでしょう。私の場合は防災に軸足を置きつつ、何をやりたいか、さらにその市場をどう壊せるかと考えて会社を興しました。SNS情報を有用な情報として活用するというビジネスモデルでした。東京・秋葉原のコワーキングスペースで知り合ったエンジニアの協力を得てアプリを完成させました」

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