自分の学びをいかに価値に変えていくかを意識し、仕事にまい進したが、その後にはジェットコースターのような運命が待っていた。入社3年目、中西さんは社長に対し、自身が得意とする財務的な観点から経営上の問題点を指摘した。だが、若気の至りで感情的なやりとりになってしまい、「だったら僕が辞めます」と飛び出すことに。地元の地銀、親和銀行に転職し、法人向け融資業務を担当していた2009年、今度は白元の副社長だった人物から一本の電話が入った。

「社長が急に亡くなり、自分が社長をすることになった。戻ってこないか?」

「いつか白元に戻ることを予感していた」という中西さんは、銀行での学びも還元できると考え、白元に復職した。その直後、新型インフルエンザの流行でマスクが売れに売れ、同社の業績は急伸。これまでかたくなに非上場としてきた会社を上場させて財務的安定を図ることになり、財務知識を買われた中西さんは株式公開準備室に配属される。

◆深い穴を掘りたければ、まず広い穴を掘れ

そのタイミングで、中西さんは1回目のリスキリングをする。自分が持つ財務や経営についての断片的な知識・経験を一度整理し、専門性を高めようと早稲田大学ビジネススクールのMBAコースに入ったのだ。オリエンテーションの席で、当時同コースのトップだった教授はこんな話をした。

「みなさんは専門性を高めたいと思って、このコースに来られたと思います。それは例えれば、深い穴を掘ろうとしているということでしょう。でも実は、いきなり深い穴って掘れないんです。シャベルを深く突き立てても、横から土がどんどん崩れて落ちてきます。深い穴を掘るには、まずは周辺に広い穴を掘らないとダメなんです。遠回りに思えるかもしれませんが、専門性を高めるためには、まずは広く学ぶことが大切です」

この考えに心から納得した中西さんはファイナンスに限らず、HR領域や組織など関心が薄かった分野についても幅広く学ぶことにした。日中働きながら、夜間や週末に勉強に没頭した。

2年目は怒とうの日々だった。マスク特需が去り、過剰在庫を抱えていたことがあだとなって白元の財務状況は急速に悪化。株式公開どころか経営再建を迫られ、中西さんは事業再生を主導する社長室の執行役員室長に30歳そこそこで抜てきされることに。そして、資産売却や銀行との交渉に奔走することになったのだ。MBAの授業で交渉術やゲーム理論を学んだ翌日に売却交渉に臨むこともあり、「期せずして学んだことを即実践する事態となり、リアルタイムでのケーススタディーができた(笑)」。卒業直後に取締役CFOに就任するも、自力再建を断念。白元は民事再生を申請し、アース製薬の子会社として再建を図ることが決まった。役割を終えた中西さんは新天地を探すことにした。