差別の背景に意識せざる特権 気づき促し韓国でヒット人生の景色が変わる本(28) 『差別はたいてい悪意のない人がする』

誰もが差別する側にも差別される側にもなり得る(イラストはイメージ=PIXTA)

普通の「いい人」ほど知らぬ間に差別的な行動をしている、との指摘にギクリとする。お隣の韓国で、刊行後1年を待たずに10万部を売り上げた、この分野としては異例のベストセラーだ。差別は私たちが思うよりも平凡で日常的なものであり、誰もが差別する側にも差別される側にもなり得る。だからこそ「差別されない努力」ではなく、「差別しない努力」をしようと、著者は訴える。

外国人客を拒否するサウナ、「男性に迷惑をかける」女性を揶揄(やゆ)する「キムチ女」というヘイト表現など、随所に紹介される韓国の事例が興味を引く。基本は日本と同じでありながら微妙に違う隣国の実情から、差別の仕組みが立体的に見えてくる。平等の価値を重視し、差別に反対するのは当たり前と思っている人こそ、読むべきかもしれない。

要点1 誰もが何かしらの特権を行使している

キム・ジヘ著 尹恰景訳 大月書店

特権に縁があるのは一部の資産家やエリートだけと思いがちだが、誰もが多かれ少なかれそれを持っている。「男性だから」「白人だから」、自分の意図や努力とは無関係にできること、不快を感じずに済むことは多い。路線バスに乗れることは車椅子の障がい者にとって、法的に結婚を妨げられないことは同性カップルにとって、容易には手にし難い特権だ。差別の蔓延(まんえん)を食い止めるには、当たり前のように特権を行使していることに、みんなが気づく必要がある。

要点2 何かを「嫌い」と言うのは自由か?

権力のない者が、権力者に対して「嫌い」という意思表示をすることは、関係を対等に近づける上で重要な意味を持つ。しかし、簡単に「嫌い」と言えるのは権力のある側であり、その発言が社会に差別意識を広げる。「何かを嫌いだと言うのは自由だろう」という意見は、したがって無条件には認められない。同性愛者が言う「異性愛者が嫌い」と異性愛者が言う「同性愛者が嫌い」とでは、言葉の重みが違うのだ。文在寅氏は大統領候補時代、「(同性愛を否定しないが)好きではない」と発言した。力を持つ側の人が公然と口にしていい言葉ではない。

要点3 差別は仕方ないと思わせる論理の誤り

「苦情が多いから」「混乱を避けるために」マイノリティーの集会を許可しない、外国人の客を受け入れない……。差別を正当化する論理の定番だ。場合によっては仕方がないように思えたりもするが、面倒なことをいとうその種の判断が差別を助長する。アメリカではかつて普通に人種隔離が行われていたが、1964年、根強い抗議運動が公民権法に結実し、人種間の融和が加速したことを再認識しよう。成績のいい者、能力の高い者を優遇する考え方も、当然と認めていいかは疑問だ。どの能力をどういう基準で誰が判断するかで、有利な人と不利な人が生じる。その評価が、一生を左右する可能性にも留意する必要がある。

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要点4 カミングアウトには大きな意味がある