養成所の多くは皇帝や富裕層が所有し、興行主(戦いで自由を勝ち取った元剣闘士が多かった)がマネジメントを行い、剣闘士に最高の医療を施す医師、訓練後の剣闘士にオイルを塗ったりマッサージを施したりする油係、料理人、武具係など、さまざまな専門スタッフが雇われていた。
スター誕生
闘技場で勇敢に戦った剣闘士は人気者になり、囚人が自由を勝ち取ることもできた。奴隷のような低い身分でありながら人気者でもあるという矛盾が、剣闘士がファンに愛される要因になったのかもしれない。美術史家のキャサリン・ウェルチ氏は、「彼らはセクシーなロックスターのような存在でした」と言う。ローマ時代の作家たちは、剣闘士に夢中になる裕福な女性たちに眉をひそめていたが、その魅力は多かれ少なかれ普遍的なものであったようだ。

とどめの一撃
ほとんどの剣闘士は、死に至るまで戦うことはなかった。研究者は、10人の剣闘士が闘技場に出れば、9人は次の日を迎えることができたと推定している。しかし、興行のスポンサーの要求があった場合などには、どちらかが死ぬまで戦わなければならないこともあった。敗者が助かりそうもない場合には勝者がとどめを刺し、どちらも助かりそうにない場合に備えて、仮面をつけ、重いハンマーを持った死刑執行人も待機していた。
英スコットランド、セント・アンドリューズ大学の考古学者ジョン・コールストン氏は、「誰かが死ななければならないなら、できるだけ痛みを与えず、確実に死に至らしめるというのが剣闘士のプロフェッショナルとしての礼儀でした」と言う。

女性剣闘士
歴史的記述やレリーフには、女性剣闘士に関するものが少数ある。女性は家にいるものと考えていた古代ローマ人にとって、女性剣闘士はスキャンダラスな存在だった。今日のトルコにあたる地域のハリカルナッソスという古代都市で発見されたレリーフには、剣闘士の衣装を身につけた2人の女性の姿が彫られていて、「アマゾン」と「アキリア」という名前と「引き分け」という言葉が添えられている。
ドイツ、ハンブルク美術工芸博物館にも、女性剣闘士を表現しているとされるブロンズ像がある。女性は上半身裸で、左手に曲刀か短剣のようなものを掲げ、そのまなざしは敗れた相手を見下ろしているようだ。脚に革や布のひもを巻くのは典型的な剣闘士の装備だが、兜も鎧も身につけていないことから、剣闘士ではないという声もある。歴史家のキャスリーン・コールマン氏は、「これほど防具を身につけてない剣闘士は見たことがありません」と言う。

(文 Andrew Curry、訳 三枝小夜子、日経ナショナル ジオグラフィック)
[ナショナル ジオグラフィック 日本版サイト 2022年7月17日付]