闘うグラディエーター 実は格闘エンターテインメント

ナショナルジオグラフィック日本版

フランスのアルルにあるローマ時代の遺跡で、当時の剣闘士の戦いを再現する演者たち。装備は考古学的発掘品に基づいている(PHOTOGRAPH BY REMI BENALI)

剣闘士(グラディエーター)とは、古代ローマの時代に見せ物として、観客の前で闘技場で戦っていた剣士のこと。2000年以上が過ぎた今でも、世界はその魅力に取りつかれている。今日の文学や映画や、かつてのローマ帝国の各地に残る円形闘技場のおかげで、剣闘士は人々がよく知るローマ文化の1つになっている。

しかし、近年の考古学研究により、剣闘士の試合は殺し合いを目的とした血なまぐさい乱闘ではなく、観客に最大の興奮を与えるための、専門的に訓練されたアスリートによる高度に組織化・体系化されたパフォーマンスであったことが明らかになってきている。剣闘士が実際にはどのような存在であったのかを見ていこう。

今日のチュニジアのエル・ジェムにあった古代都市ティスドルスに紀元240年ごろに建設された円形闘技場は、3万5000人の観客を収容できた(PHOTOGRAPH BY REMI BENALI)

剣闘士への道

ローマ帝国の初期には、鎖につながれた奴隷、罪人、戦争捕虜などが、剣闘士として闘技場に引き出されていた。しかし紀元1世紀には、剣闘士はもうかる商売となり、文献からは、職業として選択する人もいたことがうかがえる。とはいえ、すべての剣闘士は、古代ローマの厳格な階級社会の中で、売春婦や役者と並んで最下層に位置づけられていた。法律上、剣闘士は人間ではなく財産と見なされていた。

戦いの演出

剣闘士には、網闘士、魚兜闘士、トラキア闘士、追撃闘士など、いくつかのタイプがある。闘技場では、剣闘士のタイプや技量や経験にもとづいて試合が組まれ、それぞれの長所と短所をうまく組み合わせることで、戦いをエキサイティングなものにしていた。

文献や墓碑銘には、馬に乗った騎馬闘士、半月形のナイフで網を切る切断闘士、長い投げ縄で敵を捕らえる縄闘士など、風変わりな剣闘士たちの名前も記されている。

追撃闘士は腕甲を身に着け、ローマ軍の兵士が使っていたような盾と剣だけを持ち、機動力に優れていた。網闘士と試合を組まれることが多く、兜(かぶと)は網に引っかからないよう、滑らかな卵形をしていた。兜には目穴が2つしかなく、見づらく、息もしにくかったと思われる。このハンディが、顔をさらしている敵との戦いのバランスを取っていた(PHOTOGRAPH BY REMI BENALI)
トラキア闘士は最も人気のあるタイプの剣闘士だった。トラキアは今日のブルガリア周辺に住んでいた民族で、トラキア風の衣装をまとった剣闘士を闘技場に登場させることは、ローマ帝国による征服を祝うための手段だった。J字形の剣と湾曲した小さな盾を持つトラキア闘士は、すぐに見分けがついた。鎧(よろい)は脚甲と腕甲しか身につけておらず、スピードと敏しょう性を生かして戦った(PHOTOGRAPH BY REMI BENALI)

養成所で徹底的な訓練

プロの戦士にはプロ用の訓練が必要だ。ローマ帝国各地には数十の剣闘士養成所があり、剣闘士たちは年に数回しかない試合のために、養成所で一年中訓練を受けていた。ローマのコロッセオの隣にも養成所があった。養成所には少なくとも4つの施設があり、そのうちの1つはトンネルで直接コロッセオの下層につながっていた。医療施設、セットや小道具の倉庫、負傷した闘士たちのリハビリセンターもあった。

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