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料理研究家である平野顕子さんの料理教室は募集をかけるとすぐ満席になるという

料理研究家である平野顕子さんの料理教室は募集をかけるとすぐ満席になるという

東京・代官山と京都で人気のアメリカンケーキ店「松之助」と料理教室を運営する平野顕子さんは、子育てが一段落した45歳で離婚して米国の大学に進学。そこで出合ったアメリカンケーキに魅了され、料理研究家として第二の人生を歩み始める。60歳を過ぎてから米国でビジネスを展開するため拠点をニューヨークに移し、年下男性と再婚。現在は米国で夫の両親と暮らしながら日米間を行き来する。子育て後に新たな世界を切り開いた平野さんは「挑戦に年齢は関係ない」と言う。

「とにかく地味に」 不安抱えていた育児期

京都の能装束織元の家に生まれ、箱入り娘として育ちました。米国への留学準備をしていたときに父親が急逝。留学を諦めて23歳の時、祖母のすすめで結婚しました。初婚のときの夫は福井で歯科医を開業しており、典型的な亭主関白でした。私自身は娘と息子、2人の子育てに夢中だったものの、「この人とずっと一緒にやっていけるだろうか」という不安はいつも抱えていました。

例えば娘が3歳、息子が2歳くらいの頃のことです。同じくらいの子を持つ親友が神戸から泊まりがけで(当時は福井だった)我が家に遊びに来てくれました。子供たちはやんちゃな盛りなので食事中に食べ物をぽろぽろ落とします。それを見た夫が「親なら子供の落としたものくらいきれいにしなさい」とくつろいでいる親友や子どもたちを前に突然、怒りだしたのです。

驚いた友人は泊まることもなくすぐに神戸へと帰っていきました。「遠くから来てくれた私の友達に初対面であんなことを言う?」と私は夫の振る舞いに疑問を感じてしまいました。

夫は校医でもあり、地元の名士でした。そうした背景から、私は「とにかく目立たないように」といわれ、その頃は自分の意思を殺して地味に生きることを心がけていました。

子育ては楽しかったけれど常にプレッシャーがありました。このため、窮屈な家での生活を避けるようにテニススクールに通ったり、PTAの会長をしてみたり。そんな外出時は夕食を作って出かけるのですが、子供の好きなハンバーグを作ると夫は怒りました。彼には別に刺し身や焼き魚が必須なのです。

父の一言で息子は理系に転向 入学見届け離婚を決意

やがて娘は越境して高校に入学し、東京の私大歯学部に入学します。息子は地元の県立高校に入学。文学部を希望し文系コースを選びました。そのとき夫は何も言わなかったのに、息子が文学部に合格すると突然「文学部にいって何になるんだ。そんなところに学費は出さない」と言い出します。息子は結局、浪人して理系に転向し、国立の歯学部を目指すことになりました。

息子は小さいときから文学青年でした。小学生で既に「青春の蹉跌(さてつ)」や「三国志」を読み、家族でたった1回だけ旅行に行った熊本での思い出を詩にすると表彰されました。そんな息子にどうしてあんなことが言えるのか、このときに完全に心が離れたと思います。浪人中はとにかく息子のことが心配でしたが、無事に志望校に入学したので私から離婚を切り出しました。子供が巣立った後に2人で生きていけるとは到底思えなかったのです。

当時の夫の仕事に対する姿勢は尊敬しますし、家族が豊かに暮らせたのも彼のおかげでしょう。でも誰が見てもあの頃の私は今とは別人です。

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