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日本資本主義の父と呼ばれた渋沢栄一

日本資本主義の父と呼ばれた渋沢栄一

岸田内閣が立ち上げた「新しい資本主義実現会議」の有識者メンバーに任命された渋澤健シブサワ・アンド・カンパニー代表。「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一の子孫でもある。健氏は「見通せない未来を信じる意志の力を持ち、20代から30代にかけての挑戦を続けたことが、栄一を大きく飛躍させた」と説く。若いビジネスパーソンに向けてのヒントを聞いた。

ステークホルダー資本主義の原型を目指す

「岸田ビジョン」(講談社+α新書)の中で、首相は渋沢栄一を「『合本主義』を唱え、公共を含んだ幅広い関係者への利益還元と幸福を追究する資本主義のあり方を提唱した」と高く評価する。健氏も、「経営者だけが利益を得るのではなく、社会全体が利益を得る『理念』『倫理』にかなう志の高い経営を行わければ、幸福は持続しないと、驚いたことに当時から栄一はこう強調していた」と指摘する。栄一の「論語と算盤」の出版は1916年。現代のSDGsに通じる思想が100年以上前に芽生えていたわけだ。

「論語か算盤」ではなく、書名を「論語『と』算盤」にした点が重要だと、健氏は話す。「一見して相反する2つも、工夫と創造次第で融合可能とする信念が栄一にあった」と健氏。矛盾するもの同士を組み合わせて化学反応を待ち、新たなものを生み出す力が起きることを目指していたと分析する。意外にも栄一自身は資本主義という言葉を使わなかったという。健氏は「造語の合本主義という言葉に、合わせる本(もと)いうイメージを持たせ、現代のステークホルダー資本主義の原型を目指していた」とみている。

栄一の20~30代は幕末・維新の激動期で、自らも時代の先端を駆け抜けた。10代後半に攘夷(じょうい)思想に目覚め、24歳で一橋家の家臣、さらに幕臣となった。28歳のパリ滞在中に明治維新が起き、主君の徳川慶喜は失脚。帰国して慶喜の静岡藩の財政を立て直すも、29歳のときに明治新政府に招かれ、33歳で民間に転じた……。

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