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ビジネスパーソンの間で最近、「リスキリング」という言葉が飛び交っている。デジタルトランスフォーメーション(DX)時代を迎える中、学び直しをして新たなキャリア形成につなげることをリスキリングという。欧米ではすでに定着している言葉だが、日本でリスキリングの普及促進にあたっているのが一般社団法人「ジャパン・リスキリング・イニシアチブ」代表理事の後藤宗明さんだ。なぜ今、リスキリングが必要なのか。リスキリングの仕掛け人である後藤さんのキャリア人生を振り返りながら、解き明かしてみた。

DX時代を迎える中、学び直しをして新たなキャリア形成につなげることが求められている(写真はイメージ=PIXTA)

DX時代を迎える中、学び直しをして新たなキャリア形成につなげることが求められている(写真はイメージ=PIXTA)

「自分はもうダメだ。誰にも相手にしてもらえない。100社以上に落ちた」。2014年、42歳の頃、後藤さんは転職活動で多くの企業を回ったが、大半の企業から「ノー」を突きつけられた。「人生で最大の辛酸をなめた」と話す。

大手銀の支店時代は営業でトップ成績

後藤さんのキャリアは決してダメ出しされるものではない。1995年に早稲田大学政治経済学部を卒業後、当時の富士銀行(現みずほ銀行)に入行。支店時代に営業でトップの成績を上げ、3年で本店に配属された。その後、米国留学を希望したが、かなわず5年後に人材・採用関連の企業に転職し、米ニューヨークの拠点の責任者になった。

ここで2001年に「9・11」の米同時多発テロ事件に遭遇した。崩壊したワールドトレードセンターには銀行時代の同僚も数多く働いていた。勤務先の制止を振り切り、現場に向かい、救助ボランティアになった。「人間はいつ死ぬか分からない。自分のやりたことをやろう」と起業を決意。日系企業向けの人材研修事業を立ち上げた。日本人向けの語学学校も開き、「ニューヨーク版ドラゴン桜」と評判になるなど有能な人材を育て、日系企業への就職を支援したりした。

しかし、ニューヨーク州の法律改正などにより、事業継続が難しくなり、07年に競合他社に事業を売却した。日本で人材教育改革をやりたいと考え、08年に帰国したが、思惑通りには進まなかった。そんな時、「アショカ」という世界中の社会起業家のネットワークを構築・支援する国際組織の存在を知った。アショカ・フェローにはノーベル平和賞を受賞したバングラデシュのグラミン銀行創設者のムハマド・ユヌス氏らがいる。

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