こうした絵画は5世紀に描かれた「イラスト入りの古典」とも言える。見ることによって信仰心を呼び起こし、悟りに近づくことを目的としたものだ。現代人にとっては難解な物語であっても、暗闇の中に浮かび上がる絵画の優美さと感動は、昔も今も変わらない。

保存への新たな取り組み
現代では、アジャンター絵画の崇高な力が少しずつ見直されてきている。ナショナル ジオグラフィックの写真家フォルクマル・ウェンツェル氏は、1946年から47年にかけてインドを横断した旅で、アジャンターおよび隣接するエローラの村を訪れた。彼は当時新しく発売されたエクタクローム・カラーフィルムで壁画を撮影しようとしたものの、あまりの暑さに乳剤が解けてしまった。結局、ウェンツェル氏は160キロメートル以上も離れたところから氷を運び、洞窟内のくぼみを暗室として使うこととなった。
石窟群は1983年にユネスコの世界遺産に登録されたが、イタリア人保存修復師が誤って壁画にニスとシェラックを塗ってしまい、色が変わってしまった。そのため、1999年、インド考古調査局の保存責任者であるラージデオ・シン氏が徹底した保存キャンペーンを開始した。インド人写真家・映画監督のビノイ・ベヘル氏は、数十年にわたって石窟を記録し続けてきたが、今でも壁画には感動すると言う。「それは私たち自身の神聖な部分を示しているのです」
その幽玄な美しさにもかかわらず、アジャンターの絵画は一時的に花開いた、偶然の産物と見なされていた時期もあった。しかし、近年の研究により、アジャンター絵画の素晴らしさはそれ以前の流れから生まれたものであり、その影響は広く及んでいることが明らかになった。ベヘル氏の写真や映像は、アジャンターの絵画がヘレニズム、ヒンドゥー、仏教の伝統の中にどのように位置づけられるかを伝えている。

聖なるもののイメージが発展したことが、アジャンターの芸術を花開かせた。この時代は、仏像が理想化された人間の姿を表すようになった時期だった。当初、芸術家たちは仏足石(ブッダ〔仏陀〕の足跡を石面に刻んだもの)、菩提樹、空の玉座などのシンボルで実在した者としてのブッダを表現していたが、信者たちはより個人的な信仰の焦点となりやすいものを求めていた。紀元1世紀にインド亜大陸で生まれた、目を伏せ、穏やかな表情を浮かべた姿は、アジア全域に広がる仏像の原型となった。それは現在もなお、ブッダの表情として不動の地位を築いている。
(文 EDITORS OF NATIONAL GEOGRAPHIC、訳 桜木敬子、日経ナショナル ジオグラフィック)
[ナショナル ジオグラフィック 日本版サイト 2022年5月18日付]