日経ナショナル ジオグラフィック社

[ゾウが守る入り口]第16窟の入り口両脇に彫られた一対のゾウ。紀元5世紀後半頃に彫られたもの (PHOTOGRAPH BY LEONID ANDRONOV/ALAMY)

別世界のように彩られた壁

大半の石窟には、礼拝用のチャイティヤ窟(祠堂、しどう)と、修行僧が生活するヴィハーラ窟(僧坊)がある。柱に囲まれた中央の部屋は、仏像の置かれた祠(ほこら)へと続き、その外側の廊下には、石造りの寝台以外には何もない僧坊への入り口が並ぶ。

[神聖な空間]石をくりぬいて造られた祠(ほこら)の壁や天井は、美しい絵画で彩られている。インドのアジャンター石窟群には息を呑(の)むような初期の仏教美術がある (PHOTOGRAPH BY ROBERT HARDING PICTURE LIBRARY/NATIONAL GEOGRAPHIC)

全体的に厳粛で敬虔(けいけん)な雰囲気だが、壁だけは別世界のような彩られ方だ。中でも悟りを開く場として設計されている最も精巧な石窟の壁は、霊性を呼び覚ますかのような絵画でほぼ覆われていた。

壁画の大部分は時を経て断片的にしか残っていない。それでも、かつてここに満ちていた官能的かつ神秘的な空気を呼び覚ますには十分だ。寺院の壁には、既知のすべての創造物が描かれているように見える。ブッダや菩薩(ぼさつ)、その他の仏たち。王侯貴族、商人、ホームレス、音楽家、召使、恋人、兵士、聖職者。ゾウ、サル、スイギュウ、ガン、ウマ、そしてアリまでもが人間たちに加わっている。木々に花が咲き、蓮(はす)が開き、蔓(つる)が巻きつき伸びていく。

[天空のビジョン]最古の洞窟のひとつである第10窟の天井に描かれたブッダと菩薩。石窟は紀元前1世紀に造られたが、絵画の多くは数世紀後の紀元400年代に描かれた (PHOTOGRAPH BY MAURICE JOSEPH/ALAMY)

最も魅力的な壁画のひとつが、蓮(はす)を手にした無限の慈悲を象徴する「蓮華手菩薩(れんげしゅぼさつ、パドマパーニ)」像だ。祠(ほこら)の入り口付近に守護者として立つその姿は、訪れる人々に平和のビジョンをもたらしている。

石窟にやってくる現代人を迎える菩薩像は、最盛期にアジャンターを訪れた巡礼者、僧侶、商人たちも歓迎していたに違いない。壁にはブッダの過去世(前世)を物語る「ジャータカ(本生話)」を緻密な構成で表現した絵画が描かれている。ブッダとなった1000年前のインドの王子、ゴータマ・シッダールタの生涯を描いた絵画もある。

[慈愛に満ちた歓迎]5世紀以来、アジャンターの第1窟では、慈悲の菩薩である蓮華手菩薩(れんげしゅぼさつ))の等身大の像が訪問者を迎えてきた (PHOTOGRAPH BY BENOY BEHL/NATIONAL GEOGRAPHIC)
[現在も続く信仰]現在、アジャンター石窟群は、インドで最も人気のある名所のひとつだ。描かれたブッダの姿は、観光客から仏教僧までさまざまな人を引きつける (PHOTOGRAPH BY NIKREATES/ALAMY)
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保存への新たな取り組み