
スペイン南部のアンダルシア地方に、白壁の家が密集する「白い村(プエブロ・ブランコ)」がある。旅行者はその美しい景観に目を奪われるが、丘の斜面に張り付くようなこれらの建築は、もともと、争いの多かった時代に侵略を免れるために建てられた。
争いは既に過去のものとなったが、白い家並みは、今もアンダルシア地方に多く残っている。そのうちの一つ、アルガールは現在、村の古い伝統である「チャルラス・アル・フレスコ(新鮮な空気の中でのおしゃべり)」を、ユネスコの無形文化遺産に登録することを目指して活動している。
「この村では昔から、住民が通りに椅子を持ち出して、友人や近所の人々とおしゃべりする習慣がありました」と語るホセ・カルロス・サンチェス氏は、人口わずか1442人のアルガールで生まれ育ち、現在はその村長を務めている。「お年寄りも若者も、みんなが一緒になって通りに座っている姿を見るのは、すばらしいものです」
アンダルシアの白い村の成り立ち、そして村々を巡る旅の魅力を紹介しよう。

アラブ人学者による発見
スペイン最南部に位置するカディス一帯には、19の白い村がある。中世末期、これらの村は領土争いの渦中に置かれていた。
北側では、キリスト教国がイベリア半島奪還の機会を狙い、イスラム教徒のムーア人が支配するグラナダ王国と対峙していた。
1492年、グラナダはキリスト教国に降伏したが、アラビア語を話すムーア人の建築遺産は、アンダルシアのいたるところに残されている。スペインのセビリア大学で歴史的建築物を研究するエドゥアルド・モスケラ・アデル氏は、この辺りの村々が持つ独特の色彩は、イスラム教の時代に取り入れられたものである可能性が高いと指摘する。14世紀にアンダルシアに住んでいたアラブ人学者のイブン・ハルドゥーンは、消石灰で作られる漆喰(しっくい)である「カル」の製造法を書き残している。

カルは、アンダルシアの暑い夏の間、家を涼しく保つ役割を果たしていた。また、清潔感のある白は衛生と関連付けられるようになり、16世紀から19世紀にかけて、ペスト、コレラ、黄熱病が広がると、家々の壁がカルで塗られるようになった(消石灰にウイルス対策の効果があるという研究結果もある )。
新たな感染症を乗り越えるたびに、アンダルシアの町や村は少しずつ白くなり、やがて現在のような純白に輝く村々ができあがった。