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7月には動物性原料不使用の「2コ入り大豆ミートまん」を発売した

7月には動物性原料不使用の「2コ入り大豆ミートまん」を発売した

寒い冬の日に店先でアツアツの加熱済みフードを食べられる――。「肉まん・あんまん」で知られる井村屋(津市)が広めたこの売り方はコンビニエンスストアの台頭とともに全国に広がった。その過程では食べ物の「店頭加熱」を阻んでいた規制の打破にも取り組んだ。おでんや唐揚げといった「コンビニ食」は今では当たり前の存在だが、誕生の陰には、規制緩和を呼び込んだ井村屋の奮闘があった。(前回の記事「井村屋の肉まん・あんまん 「中華まん」ではなかった!?」)

井村屋は1964年、まず冷凍品の「肉まん・あんまん」の販売に参入。68年に灯油で湯を温めるスチーマーを導入して関東から店頭販売を始めた。71年には商店側が安全に管理しやすい電気スチーマーを機材メーカーと共同で開発して、販売先を全国に広げた。

「当時、肉まん・あんまんを売っていただいたのは、パン屋、小さな商店、駄菓子屋などがほとんどでした。冬場に『温かくて、すぐに食べられる』という商品がなかっただけに、とても目を引いたと思います」。井村屋の花井雅紀・開発部長は発売初期の様子をこう振り返る。

井村屋の花井雅紀・開発部長

井村屋の花井雅紀・開発部長

花井氏も子供のころに、店頭で売られた肉まんに心を躍らせたという。「小学3年生くらいだったと思いますが、冬の寒い日に近所の小さな駄菓子屋に行ったら、店先から湯気が出ていました。『何、これ?』と聞くと、店のおばちゃんが『ものすごくおいしいから食べてみな』と。お菓子を買うのを我慢して食べてみたら、『もう、こんなうまいものが世の中にあるのか』と感動しました」(花井氏)。

店頭でホカホカの肉まん・あんまんという、新発想の商品は70年代に全国へ浸透していく。その勢いを支えたのが、70年代半ばから急速に拡大していった小売業態、コンビニだった。

コンビニ業態の成長で市場規模が急拡大

井村屋は小さな商店に冷凍ケースを貸与し、夏にはアイスクリームを供給して売ってもらい、冬にはそのケースで肉まん・あんまんを保存。そして、新たに貸与した電気スチーマーで肉まん・あんまんを温めて売ってもらう販売手法を生み出した。アイスクリームでは73年に、「井村屋が得意とするぜんざいをアイスにできないか」と考えて「あずきバー」を開発。これも他社がなかなかまねできないロングセラー商品に育てた。

肉まん・あんまん市場の成長には、70年代から都心部で増え始め、後に全国へ広がったコンビニが大きな追い風になった。現在のコンビニ市場の上位3社でいえば、「ファミリーマート」が72年に埼玉県狭山市で、「セブンイレブン」は74年に東京・豊洲で、「ローソン」が75年に大阪府豊中市で、それぞれ1号店を誕生させている。

冬場に手っとり早く食べられる温かい肉まん・あんまんは、人を集めやすい。ちなみに、お湯を注いで3分間待てば食べられるカップ麺の第1号である「カップヌードル」も71年9月の発売だが、すぐに食べられる点では肉まん・あんまんのほうに強みがある。

ハンバーガーを食べながら歩く流行を生んだ日本マクドナルドが東京・銀座で第1号店をオープンしたのも71年だ。時代は店頭で「肉まん・あんまんをほおばる」ことへの違和感が少ない時代に突入していき、コンビニ各社も「冬の風物詩」的な商品として、いわゆる「中華まん」を取り込んでいくようになった。

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