2014年からは、国と州が連携して、ジャカルタの海岸を海の浸食から守る計画が進められてきた。現在、このメガプロジェクトは2つの段階から構成されている。
第1段階は、全長47キロメートルにおよぶ海岸沿いの壁の建設だ。すでに約13キロメートル分が作られており、本格的な建設は2023年から開始されることになっている。スヘミさんの家の外にある壁も同プロジェクトの初期に作られたものだが、彼女の経験から明らかなように、海岸沿いの壁はせいぜい一時的な解決策にしかならない。
同プロジェクトの第2段階は、ジャカルタ湾沖に建設される「巨大防潮堤」だ。この防潮堤には、インドネシアを象徴する神話の鳥ガルーダの形をした、全長約32キロの人工島が含まれている。広さ約4000平方メートルのこの島は高潮を防ぐ役割を持ち、またここにはオフィスやアパート、貯水池、高速道路、線路、娯楽施設も建設される予定になっている。

一方で、巨大防潮堤は13本の川の流れを妨げ、ジャカルタ湾を巨大な汚水のプールに変えると批判する人もいる。また、このメガプロジェクトは地盤沈下の原因には対処していないため、いずれジャカルタは沈んでしまうだろうと、インドネシア環境フォーラム(WALHI)のパリド・リドワヌディン氏は言う。政府は海岸地域の環境再生に力を注ぐべきだと、リドワヌディン氏は考えている。マングローブを植え直したり、家屋が立ち並ぶ川岸をより自然な状態に戻したりといった対策だ。
巨大防潮堤は、今はまだ設計段階にある。その建設資金がどこから出されるのかは不明であり、政府は着工の時期も明らかにしていない。
首都移転、取り残される人たちは
ボルネオ島の新首都建設の方は、今年着工し、2045年に完成することになっている。インドネシア政府はここを、産業、ビジネス、教育の拠点となる「万人のためのグローバルシティ」にしたいと考えている。
しかし、地元の先住民の人々はこの計画を快く思っていない。彼らは、このプロジェクトによって自分たちの土地、森林、生活が破壊されることを恐れている。

一方ジャカルタでは、首都をボルネオ島に移す決定を歓迎する声もある。そうすれば、過密状態や公害といった、ジャカルタが抱える負担が軽減されるからだ。都市計画を研究するシマルマタ氏は、「ジャカルタは厳しいダイエットを行い、都市機能の一部を放棄して、緑地を増やすべきだ」と考えている。「政府の移転はいいきっかけになるでしょう」と氏は言う。
リドワヌディン氏はしかし、首都移転計画は単に「生態系の危機を別の場所に移すだけ」にしかならないと見ている。「ジャカルタは再生のための明確な計画もないまま放置され、溺れるに任されているのです」
ジャカルタ北部海岸の脆弱なコミュニティーには、新首都のことなどほとんど関係がない。スヘミさんやアスタティさんのような住民たちにとって、より安全な場所に引っ越すという選択肢はありえない。
アスタティさんが暮らすムアラアンケ地区は、観光客がサウザンド諸島への船に乗り込むカリアデム港のすぐ近くにあり、海岸沿いの壁はまだここまで到達していない。
「洪水は月に1度でも週に1度でもなく、毎日起こっています」とアスタティさんは言う。ときには水が太ももの高さまで上がってくることもある。

今年前半、ムアラアンケの住民たちは、この問題に自分たちで対処することにした。瓦礫(がれき)を使い、海岸沿いの道路を1メートルほど高くしたのだ。
アスタティさんをはじめとする一部の住民たちはまた、大量の貝殻を使って自宅の庭や床もかさ上げした。貝殻ならお金をかけずに浸水を防ぐことができ、また海水を素早く排出することができるとアスタティさんは言う。
「わたしたちはとにかく、二度と洪水の心配をしなくて済むようになってほしいのです」
(文 ADI RENALDI、写真 JOSHUA IRWANDI, VII MENTOR PROGRA、訳 北村京子、日経ナショナル ジオグラフィック)
[ナショナル ジオグラフィック 日本版サイト 2022年8月9日付]