力みを取り除いてくれた母のひと言

ある日、学校に行くためバス停に向かいながら、涙があふれて止まらなくなった。その日は結局、学校に行けずに帰宅。するとその晩、中学の同級生から電話がかかってきた。泣いている姿をその子の兄が目撃したらしく、心配して電話をくれたのだった。そのいきさつを母に話すとこう言われた。

「本当に学校がしんどかったら、いつ辞めても構わない。勉強だけが人生じゃないし、ちょっとくらいつまずいたって、人生には影響ないわよ。自分がダメだったなんて卑下する必要もない。だってあなたには、そうやって心配して電話をかけてくれるすてきな友達がいるんだもの。そういう友達を持てる自分を誇りに思って、前を向いて進めばいいのよ」

その一言で、スッと力が抜けた。

「そもそも、身の丈以上の学校に来てしまったんだから、つらいのは当然だし、そこに飛び込むと決めたのは自分。だったらこのゲームを楽しんだもん勝ちだと腹が決まりました。それに、頑張った結果、もし成果が出なくても別に死ぬわけじゃない。そんな自分でも受け入れてくれる人はいる。沖縄の言葉でいう『なんくるないさ〜』(くじけずに正しい道を歩もうと努力すれば、きっとなんとかなるさ、の意)の精神がむくむく湧いてきたんです。うちの母って本当に10年に1回くらい、いいことを言うんです(笑)」

それからは、やるべきことを着実にやって成績もトップを争うまでに上昇。ディベート甲子園に出場したり、論文コンクールに応募し賞をもらうなど、学外でも積極的に活動し評価されるようになった。

とりわけその後の進路に大きな影響を与えたのは、高2の時に開かれた九州・沖縄サミット(主要国首脳会議)だった。通訳ボランティアとして会場に入り、スーツの要人たちの放つオーラに目を見張った。同時に、「ニュースで見る世界」と「自分」とがダイレクトにつながっていると実感し、「沖縄を出て、より広い世界を見てみたいと素直に思った」という。卒業後は早稲田大学政治経済学部に現役で進学。在学中には米国留学も経験した。

面接で「3年で寿退社」宣言、その真意は?

「好きなことは120%頑張るし、自分が違うと思うことにはノーと正直に言ってきました」と話す

就活では「3年くらいで寿退社するつもり」と堂々と述べた。その言葉を額面通り「良いパートナーを見つけるまでの腰掛け的な働き方」と捉えた面接官もいただろう。だが瀬名波氏の真意は違った。

せっかく親に東京にまで出してもらったのだから、3年は無我夢中で働き、自分で「やり切った」と思えたら、人生の次のチャプターに進むーー。つまり最初からトップスピードで突っ走りますよ、という決意表明だったのだ。

リクルートではそういう人材は歓迎される。そして新人でただ1人、経営企画室に配属された。部屋があるのは最上階の役員フロア。新規事業創出の仕組みづくりのリーダーを任された。順調に成果も出て評価もされたが、2年目の冬、上司に異動させてほしいと申し出る。高校受験の時と同様、自ら身の丈以上のところに飛び込んでみたくなったのだ。

「新規事業の企画は、30年後の社会を見据え、そこに向けてリクルートが今始めるべき事業を考える仕事です。でもビジネスの最前線に立った経験もない私がそんな仕事を続けると、きっと勘違いしてしまうと思ったのです。上司には『リクルートの中で一番厳しい現場に異動させてください。顧客とユーザーの間に立って物事を動かすダイナミズムを体験できる場ならどこでも構いません』と訴えました。上司は『瀬名波は、変わってるなぁ』と言いつつ、希望をかなえてくださいました」

次のページ
MVP受賞あいさつで「いい仕事していない」と反省