東京から数百キロも離れた町の工場で長年働いていた中高年社員が失業してしまったとしましょう。その町の近くでスキルを生かせる仕事がみつからなかったらどうなるでしょうか。東京へ行ってコンビニエンスストアやレストランでアルバイトをしてくださいというのでしょうか。これはあまりにも非現実的です。他産業への転職は人々に大きな犠牲を強いるものです。先程も申し上げたとおり、私にもできません。

米国、英国、フランスなどでは中高年層がとてつもなくひどい扱いを受けています。企業から切り捨てられ、誰にも頼れない状況に追い込まれているのです。私はこうした中高年層に対して、社会全体がもっと思いやりをもつべきだと思います。プライドを持って長年仕事をしてきた彼らの尊厳を尊重するべきです。

世界に必要なのはより現実的な解決策

佐藤 2021年のノーベル経済学賞には「自然実験」と呼ばれる手法を使い、労働市場に関する新たな知見を提供した3人の経済学者が選ばれました。バナジー教授が切り開いた実験的アプローチの分野は、ますます注目されつつあります。困難な時代を生きる経済学者として、どのように世界に貢献していきたいと考えていますか。

バナジー 経済学そのものは世界を救うことはできませんが、経済学者が世界をよりよくするためにできることはたくさんあります。国の経済政策の立案に携わることもできるし、メディアや書籍などを通じて人々に正しい行動をよびかけることもできます。

私たちが2003年にMIT内にJ-PAL(ジャミール貧困対策ラボ)を設立したのは、より実証的な手法で世界の課題を解決するための研究をしたかったからです。私たちが重視しているのは、既存の経済理論よりも実験から得られるエビデンスです。世界に必要なのはより現実的な解決策です。世界には多くの重大課題があるものの、必ず解決できる方法はあると信じています。

私自身は経済学者として、これからも理論にとらわれることなく、現実的かつ実証的な研究や議論の発展に尽力していきたい。それこそがよりよい世界を実現するために私が最も貢献できる道だと思っています。

アビジット・V・バナジー Abhijit V. Banerjee
マサチューセッツ工科大学(MIT)教授。専門は開発経済学と経済理論。1961年インド・ムンバイ生まれ。81年コルカタ大学卒業。83年ジャワハルラール・ネルー大学大学院修了後、88年、ハーバード大学にて博士号取得(経済学)。2009年インフォシス賞受賞。19年、「世界的な貧困を削減するための実験的なアプローチ」が評価され、マサチューセッツ工科大学のエステル・デュフロ教授らとともにノーベル経済学賞受賞。デュフロ氏との共著に『貧乏人の経済学』『絶望を希望に変える経済学』などがある。

絶望を希望に変える経済学 社会の重大問題をどう解決するか

著者 : アビジット・V・バナジー、エステル・デュフロ
出版 : 日本経済新聞出版
価格 : 2,640 円(税込み)