北極近くの小さな集落 イヌイット・アートが人を呼ぶ

ナショナルジオグラフィック日本版

夏でも氷が行きかう極北の集落ケープ・ドーセット ©Lee Naraway

カナダの北部、北極に近いケープ・ドーセットという小さな集落を舞台に、観光の力を使って地域の自立を目指す取り組みが始まっている。その主役は極北の狩人イヌイット。彼らは彫刻と版画という2つのイヌイット・アートを観光と結び付け、多くの人の応援を受けながら持続可能なコミュニティーづくりに挑戦している。

イヌイット・アートと観光を融合させる手立てとして期待されているのがクルーズ船の観光だ。北米各地やヨーロッパ、オーストラリアからクルーズ船に乗って裕福な観光客がイヌイットの地にやって来る。ここでの生活や文化に触れ、アーティストたちと言葉を交わし、彫刻と版画に触れるひと時を過ごしながら気に入った作品を購入する。こうした機会が増えていけば、イヌイットに安定的な収入や雇用の機会をもたらすだけでなく、イヌイット社会と外の世界の間の交流を促すことにもつながるのだ。

ケープ・ドーセットには1500人ほどのイヌイットが暮らしている。あまりに北すぎて、木も草も生えない。あるのは石と岩ばかりだ。短い夏が終わると、雪と氷がこの地を覆いつくす。かつてはエスキモーと呼ばれ、氷原でアザラシやセイウチを撃ち、生の肉を食べてきたこの地のイヌイットは、精霊のような鳥の版画や踊るホッキョクグマの彫刻を生み出すアーティストである。

彼らが作るイヌイット・アートは、カナダを代表する芸術として世界的に評価が高い。作品は首都オタワのカナダ国立美術館をはじめ、カナダの代表的な美術館に収蔵・展示されている。イギリスやフランスをはじめ、ヨーロッパのコレクターの間での人気も高い。

しかし、アートという生活の糧がもともとあったわけではない。狩りをしながら移動する日々を送っていたイヌイットは、ある日政府に定住を強いられ、狩猟と毛皮交易という生活の基盤を失った。現地にある資源や国土防衛がその政策的理由だった。

イヌイット・アートを世界に紹介したジェームズ・ヒューストン © Rosemary Gilliat Eaton _ Rosemary Gilliat Eaton fonds _ Library and Archives Canada

狩猟からアートへ

収入源を失い困窮していたイヌイットに、アート制作という道を開いたのは画家志望のジェームズ・ヒューストンという白人青年だった。極北の暮らしに憧れてイヌイットの地にやって来たヒューストンは、彼らが石で作った小さなカリブー(トナカイ)の彫刻を目にした途端に心を奪われた。そして生涯を通じ、イヌイットとアートを結び付ける活動を続けることになる。

イヌイットの目に映る世界を形あるものに変えたケープ・ドーセットの版画や彫刻は、ヒューストンの尽力で1960~70年代に一大ブームとなり、カナダの大都市や海外へと運ばれて高値で売買された。貧しさに喘いでいたイヌイットは、アートという新しい生業を得て生活を立て直すことができた。

しかしリーマンショックなどを経て売れ行きは徐々に頭打ちとなり、イヌイット・アートは曲がり角を迎えることになる。インターネットの普及やグローバリゼーションの影響で、極北の狩人という神秘のベールの向こう側にある現実の姿が垣間見えるようになったのも、要因の一つだろう。定住したイヌイットは私たちと同じように、スマホを手に暖房の入ったリビングでテレビを見る生活を送るようになったのだ。

こうした生活スタイルの変化は、イヌイットの間に伝統的な様式にとらわれない新しいアートを模索する動きも生み出した。そしてケープ・ドーセットの人々は今、生き抜くために、アートの力をてこに観光客を呼び込み、ありのままの自分たちを見せ、表現し、自立する道を模索することにした。

イカルイト空港の壁にプリントされたケノジュアク・アシェバク作「魔法にかけられたフクロウ」©Toshiyuki Hirama

日本の版画技術を導入

2018年、ケープ・ドーセットのあるヌナブト準州の政府は、クルーズ船会社の協力のもと「イヌイット・クルーズ・トレーニング・イニシアチブ」という研修プログラムを導入した。準州内の異なるコミュニティーから選抜した12人のイヌイットを1年間採用し、実際にクルーズ船に乗り込んでもらう。アポイントがあっても天気が良ければふらっと狩りに出かけてしまうような気質をイヌイットは持っている。観光業に踏み出すには、ビジネスのルールを知っておくことも必要だった。

クルーズ船で1年間働くことで、クルーズ観光とは何か、その全体像が理解できるようになる。そこで身につけるのはクルーズ船運航の実務、つまり「ハード・スキル」だけではない。研修生は異文化コミュニケーションやチームワーク、リーダーシップといった「ソフト・スキル」も学ぶ。

さて、ケープ・ドーセットが木も生えない岩だらけの島だということはすでに書いた。紙が不可欠な版画がどうしてここで始まったのか。ケープ・ドーセットで暮らしながら数々の版画作品を生み出し、カナダで最も優れた芸術家の一人として知られる故ケノジュアク・アシェバクの作品を見れば、その答えを知るヒントがある。

作品の右下には、書や日本画の端に押される落款(らっかん)のようなデザインが描かれている。実は、ケノジュアクらイヌイットの版画は、浮世絵から連なる日本の版画技術を手本としている。はるか遠く、極北のケープ・ドーセットで生まれたイヌイットの版画には、日本の伝統的な技術が深く関わっているのだ。

イヌイットによる版画づくりは1957年に始まった。ヒューストンはイヌイットに版画の技術を伝えるため、自ら日本に乗り込んで著名な版画家のもとで3カ月間学ぶとともに、日本の「民藝運動」の作家らとも交流を重ねた。イヌイットの版画にある落款のようなデザインも、このときに受け継がれた。

以来、ケープ・ドーセットの版画には、約60年間にわたって日本の和紙が使われている。2002年には高知県の山間部にある仁淀川町の手漉き和紙職人の一家がケープ・ドーセットを訪れて和紙づくりを紹介し、イヌイットとの交流の機会を持った。その後、ケープ・ドーセットからも版画アーティストが来日し、仁淀川町を訪問している。遠く離れたふたつのコミュニティーが和紙を通じた交流を続けている。

イヌイットには、版画や彫刻を通してつながったたくさんの応援団がいる。ジェームズ・ヒューストンらが残したつながりを生かしながら、イヌイットに心を寄せるたくさんの人たちとともに、観光を軸とした新しい生活を作り上げようとするイヌイットの挑戦はこれからも続く。

この連載はカナダ観光局の提供で掲載しています。

著者 半藤将代(はんどうまさよ)
早稲田大学第一文学部卒業後、トラベルライターやイベント・コーディネーターとして十数カ国を訪問。その後、アメリカに本社を置くグローバル企業で日本におけるマーケティング・コミュニケーションの責任者を務める。 1999年、カナダ観光局に入局。日本メディアによるカナダ取材の企画やコーディネートに取り組む。2014年には、単なる観光素材の紹介にとどまらない新たなコンテンツ・マーケティングの可能性を開くため、オリジナルコンテンツを満載したウエブサイト「カナダシアター」を開設。カナダの文化や歴史、アートなど、あらゆる分野の読み物や動画を活用して多彩なストーリーを展開した。2015年、カナダ観光局日本地区代表に就任。通年でのカナダ観光の促進や新しいデスティネーションの商品開発を推進。現在は、ニューノーマルにおける新しい観光のあり方を模索している。