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玉塚元一・ロッテホールディングス社長

玉塚元一・ロッテホールディングス社長

小学校から慶応で過ごし、中学から大学まではラグビーにも励んだロッテホールディングス社長の玉塚元一氏(59)。大学4年時には大学ラグビー日本一を決める大会で準優勝し、小泉信三元慶応義塾塾長の「練習は不可能を可能にす」という言葉は今も胸に熱く響く。大学卒業後はラガーマンの生活に終止符を打ったが、その後のビジネスでラグビーが役に立ったことは数知れない、と振り返る。

慶応の普通部(中学)からラグビーを始めた。

自分の根性を鍛え直そうと始めたラグビーでしたが、はまりました。高校時代、僕らの代は「強い」と言われ、慶応は神奈川県の大会で毎回、上位に名を連ねる常連校でした。

高校ラグビーのゴールは花園ラグビー場(大阪府東大阪市)での「全国高校ラグビー」。そこを目指して汗水たらすわけですが、県大会で「今年の代表は慶応だろう」と言われながら、一歩力及ばず、僕らは花園への切符を手にできませんでした。

高校時代、ラグビーの県大会の決勝や準決勝で2度敗退した結果、いくら努力しても目標にたどりつけないなら、ラグビーを続けてもきついだけ。大学に入ったらやめようと思ったことが一度あります。高校のラグビー部員で大学でもラグビーを続ける人は、入学前の3月ごろから練習に参加します。でも僕は決断できず、5月のゴールデンウイークまでモジモジしていた。

大学に入ったら、テニスだ、スキーだという夢もありました。でも、やっぱりラグビーが好きだった。続けてきたことをやめるのは、良くない、という思いもあって結局、大学でも続けることにしたのです。

当時も今も、慶応のラグビー部には「受験の壁」があります。他の大学のように高校時代のトップ選手が集まってくるわけではなく、まだAO(アドミッションズ・オフィス)入試もない時代でした。部員といえば、慶応の下から来た人間と、大学から入ったラグビー好き程度しかいません。だから、死ぬほど練習するしかないワケです。

「練習は不可能を可能にす」という小泉先生の言葉そのままに実践し、毎年夏には山中湖で地獄の合宿が待っている。たとえ大金をもらえるとしても、あの夏合宿は二度と経験したくありませんね。

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