大学ラグビー部での4年間、厳しい練習に耐え抜いたことで、得たものは大きかった。

「慶応という素晴らしい場で小学校から学び、ラグビーと出合い、たくさんの友人ができた」と振り返る

山中湖では何度ぶっ倒れたか知りません。でも、その猛練習を乗り越え、僕らの代は大学4年のとき、強敵の明治大や早稲田大を倒し、関東大学ラグビー対抗戦で全勝優勝し、大学日本一を決める「全国大学ラグビーフットボール選手権大会」でも、今は亡き平尾誠二氏や大八木淳史氏(いずれも元ラグビー日本代表)がいた同志社大に破れはしましたが、準優勝でした。長年ラグビーを続けてきて、僕の中に残ったのは「練習は不可能を可能にす」という教えと、努力すれば巨象をも倒せる、ということでした。これらを実体験できたのは、ものすごく大きいと思っています。

慶応でラグビーを10年間続けてきましたが、僕にとってのラグビーは「修行」でした。だから、就職後も続ける発想はありませんでした。旭硝子(現AGC)に就職し、ラグビーには一回ピリオドを打ち、気持ちを切り替え今度は仕事に励むことにしたのです。

ジャージーは脱いだが、その後もラグビーとの縁が切れることはなかった。むしろラグビーが仕事や人脈構築でプラスに働いた方が多かった。

旭硝子で20代後半の一時期、シンガポールに駐在しました。現地にシンガポール・クリケットクラブという会員制の名門クラブがあり、夕方になると、ラグビーの練習をしている人たちがいました。面白そうだから「入れて」と頼むと、「今週末試合だから来い」と。さっそくスパイクを買って、出向きました。

メンバーはおじさんが多く、国籍も様々。その中にまざり、僕はボールを持って駆け抜けた。すると「何だあいつは」となり、「来週もおいで」と。気付くとクラブのメンバーになってました。しばらくして現地の日本企業の幹部から「ランチしよう」と誘いの電話がありました。なんで僕と、と思いましたが、先方は入会するのにどんなコネを使ったのか探りたかったようです。僕はただラグビーに参加していただけだったのですが。

英国や米国でも仕事をしてきました。途中で雲行きが怪しくなる商談もありましたが、そんな時もラグビーに救われた。ランチ時、たまたまラグビーの話題で盛り上がり、その後の商談の雰囲気が一変、成立したケースは一度や二度ではありません。

これまで出会った人との「縁」を大切にしてきた。慶応ラグビー部を中心人脈も恵まれ、華麗だ。

幼稚舎の先輩でもあるゴールドマン・サックス日本法人社長の持田昌典さんは、慶応ラグビーの先輩の中で1番成功されている方の一人ではないでしょうか。日本法人の社長になられもう20年。そのバイタリティーと先見性は素晴らしく、ものすごい温かい人でもあります。

持田さんは僕より8歳上で、ラグビー部時代は「雲の上の存在」でした。今は同じ経営者の立場で意見を求められることもあります。ラグビー・イングランド代表ヘッドコーチ(HC)のエディー・ジョーンズ氏(前ラグビー日本代表HC)が今、ゴールドマンの日本法人のアドバイザーリーボードメンバーで、彼が来日した際、立花陽三・楽天イーグルス社長ら慶応ラグビー部出身の経営者と一緒にお話をうかがったこともあります。「慶応ラグビー部ダメダメ、もっと練習しないと」なんて言われました。

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