「仮面」の謎 なぜ200年間も欧州ではやったのか

日経ナショナル ジオグラフィック社

ナショナルジオグラフィック日本版

ラーケン(現代のブリュッセルの一部)の聖地へ巡礼に向かう、仮面を着けた女性たち。1601年、作者不明の油絵(ORONOZ/ALBUM)

仮面は、アジアからアフリカまで世界の数多くの文化に見られる。その目的は、神聖なものや医療的なものから世俗的なものまでさまざまだ。仮面が流行した時代もある。たとえば16世紀のヨーロッパでは、裕福な女性たちが顔を覆うことで、日差しや詮索ずきな視線から肌を守っていた。

当時、白い肌は身分の高さの象徴とみなされていた。太陽にさらされた肌が示唆するのは、今日そうであるように健康や活力ではなく、屋外で働く必要性や労苦だった。そばかすや日焼けのない薄い肌色を保とうと、上流階級の女性たちは、日差し、風、ほこりから肌を守ってくれる顔の覆いを着用するようになる。なめらかな白い肌をさらに強調するために、白い厚塗りメイクが施される場合も少なくなかった。

道徳家たちが問題視した、顔を覆う「ビザード」

英国のロンドン、フランスのパリ、イタリアのベネチアなどの上流社会で、まず流行に敏感な女性たちが仮面を着け始めた。最初期の仮面は、黒いベルベット製で、顔の上部が覆われるようになっていた(フランスでは、このタイプの仮面は子供たちをおびえさせたことから「ルー」、つまりオオカミと呼ばれた)。

17世紀フランスの「ルー」。フランス、エクアン城の国立ルネサンス美術館収蔵(MATHIEU RABEAU/RMN-GRAND PALAIS)

「ビザード」というのは、顔全体を覆うタイプの仮面だ。一部のビザードは、頭の後ろで留めるのではなく、仮面の内側に取り付けられたビーズを歯でかんで固定していた。そのほか、扇のように持ち歩いて、着用者が顔の前に掲げて相貌を隠すタイプのビザードもあった。

ビザードは顔全体が覆われることから、道徳家たちがこれを問題視した。1583年、清教徒の社会改革者フィリップ・スタッブスは、自著『The Anatomie of Abuses(悪癖の解剖学)』で、顔全体を覆う仮面についてこう書いている。「もし彼女たちの身なりを知らない者が、偶然そうした1人に遭ったなら、彼は自分が怪物か喪服を目にしていると思うだろう。相手の顔が見えないのだから」。ビザードを着けている者は「神の名を汚して」おり、「あらゆる種類の官能と快楽に浸って」いるとスタッブスは断言した。

顔全体を覆う16世紀のビザード。2010年、英ダベントリーにある16世紀の石造りの家を改装している最中に、壁の中から発見された。同種のものとしては、最も完全な形で残っている例となる。着用者の肌を守るために使用されたもので、前面は黒いベルベット、裏地には白い絹が使われ、その間にプレスした紙が3層入れられている(PORTABLE ANTIQUITIES SCHEME/NORTHAMPTONSHIRE COUNTY COUNCIL)
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芝居の流行と「女性のつつましさを守る」仮面